創立記念日

 本日、5月29日は学院の創立記念日です。私たち一人ひとりが大切にしている人の誕生日を祝うのと同じように、学院の創設者である高島鞆之助先生と中・高の祖である八束周吉先生が掲げられた理念について考えを深めながら過ごす一日としたいと思います。
 毎年、少しずつ手を入れている文書を生徒の皆さんに配付します。ご家庭でも共有いただけますと幸いです。以下は、文書の内容です。長文になりますが、ご確認ください。

   学院の創立記念日と八束周吉先生

 5月29日は追手門学院全体の創立記念日。大阪偕行社附属小学校、現在の追手門学院小学校が創立されたことを祝う日です。創設者は高島鞆之助先生で、入学式の日に生徒の皆さんには覚えておいてもらいたい名前であることをお伝えしました。また、追手門学院高等部が設置されてから、2024年で74年になるということもご記憶いただきたいと思います。毎年生徒の皆さんには、学校からほぼ同じ内容の文書を出しています。学校の歴史については、毎年違った内容に書き換えることはできませんし、その必要もありません。ただ、歴史を振り返り、「独立自彊・社会有為」という教育理念について、あらためてその意味を考えることは、学校にとっても、生徒の皆さんにとっても、大変意義深いことだと考えています。言葉に表された理念は不変だとして、時代というコンテクストに照らしてそれを捉えなおす、「理念の現在化」という作業(どうすれば理念を体現する人物に近づけるのかという、プロセスとか手段とかについて考えること)を今年も続けてまいりましょう。

 さて、それでは、今年度も追手門学院と追手門学院中・高等学校の歴史について振り返っておきましょう。

 大阪偕行社附属小学校は、戦時体制により、大阪偕行社学院と名前を変えましたが、戦後、GHQの命令で、陸軍の親睦団体であった偕行社が解散となり、大阪偕行社学院にも廃校命令が下りました。関係者の方々のご尽力により、さらに大阪偕行学園と名前を変えて生まれ変わり、その初代学園長に就任したのが八束周吉先生でした。八束学園長就任後も、GHQから、経営母体の錦城育英会が偕行社の流れをくむ母体であるので解散せよ、戦前・戦中から勤めている職員も全員解雇せよ、という通達が出されました。結局、偕行社とは別の財団法人大手前学園を設立し、学校名を大手前学園小学校に変更、いったん解雇した職員を全員再雇用しました。1947年にはさらに追手門学院と名前を変え、追手門学院小学部とし、また、追手門学院中学部を開設、1950年に追手門学院高等学部を開設しました。今では、追手門学院中・高等学校と追手門学院大手前中・高等学校となって、2つの中学、2つの高等学校となっています。中・高等学校という名前になっている通り、現在では中学校と高等学校とが一体となって運営されていますので、追手門学院高等学部が開設された1950年から数えて今年の2024年が両中・高の74周年の年ということになります。

 八束先生は、戦後の激動期、新しく生まれ変わった追手門学院の初代学院長としての15年間に、戦後の民主国家のもと、それにふさわしい新しい教育方針を打ち立てました。しかし、ここが肝心なことなのですが、その方針は、戦前の教育を全否定して全く新しい教育を導入するものではありませんでした。大阪偕行社附属小学校において大切にされてきた伝統の「誠実・剛毅・自治」の校訓・教育実践と、「自由・平等・愛」の3つの行動原理を備えた人格の育成という新しく海外から導入された教育とを高い次元で統合し、追手門学院独自の「中正道の教育」を目指しました。その中では、「忠」の概念(心が中庸・中世の位置に安定し、心の中の中心を失わず、ぶれない軸を持つこと)を基とし、学院理念の「独立自彊」につながる「精神の独立」が求められました。「自己の精神の尊厳を自覚し、その自信を得るためには聡明な知性と豊かな情操と強靭な意志力が裏付けられなければならない。ここに私の常々言う中と正の道が得られるのである」という八束先生の言葉が残っています。また、道徳による人格形成教育を推進し、ホームルームの時間を教員と生徒、生徒同士が話し合いの場として設定したり、自治会活動・クラブ活動を教育の特別な活動の場として捉え、自らの学校生活を自らの手で創り上げる指導を推進したりしたことは、その後の本校の教育の大切な流れとして受け継がれていきました。今では、任意団体であるという理由でその必要性が問われているPTA活動も、学校作りの一環として大切にされていたものです。

 以上のように、本校の教育の基盤が、八束周吉先生によってつくられたことはご理解いただけると思います。そして、本校の教育の流れには、創設者の高島鞆之助先生の考えや、「誠実・剛毅・自治」といった大阪偕行社附属小学校の教育実践が受け継がれていることも忘れないでください。

 本校の校舎のエントランスの奥に、八束周吉先生の庭があり、モニュメントを設置しています。モニュメントには「中正道」という文字が刻まれ、その土台の部分には、八束先生の言葉が紹介されています。ぜひ、実際に確かめてください。私が特に感銘を受けた八束先生の言葉を下に記しておきます。学院創立136年と、両中・高74周年をみんなでお祝いし、八束先生の考えが本校の今の教育に受け継がれていることを確認いたしましょう。

 教育とは教育しないことである。

 知性の第一段階は知性の芽の問題である。よい芽の質はよい人間性のうちに発芽するということである。

 知性の発芽は先ず驚異に始まる。驚異から懐疑へ、懐疑から煩悶へ、煩悶から発見へ、発見から推究へ、推究から応用へと、無限の発展成長を遂げていく。知識の詰め込み記憶だけで、その美しい芽が培われるものではない。

  知性は、いわば、もっと現実の中に生きてはたらく能動的な創造性を具えていることを特質とする。そのことは、知性というものがあくまでも人格諸要素の総合的な活動体であることを意味するに外ならない。