個人的なことで恐縮ですが、今日は私の誕生日、59歳になりました。もう1年生きると還暦となるところまで来たということで、とにかくここまでお世話になってきた方々や、日頃おつきあいをいただいている方々、また、私に力を与えてくれた様々なジャンルの文学作品や映画、絵画とその作者たちに感謝しなければなりません。
実は、6月19日は太宰治の誕生日です。私は太宰に特別に強い関心を持ってきたわけではありませんが、彼の小説には書き留めておきたい名言がたくさんあります。その一つが次の長い引用の部分で、『正義と微笑』という小説の中で、黒田先生が中学生たちに向かって学校をやめる際に語った言葉です。本校の生徒たちにも、ぜひ読んでほしい文章です。
「…もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これから、うんと勉強しよう。勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない。勉強して、それから、けろりと忘れてもいいんだ。覚えるということが大事なのではなくて、大事なのは、カルチベートされるということなんだ。カルチュアというのは、公式や単語をたくさん暗記している事でなくて、心を広く持つという事なんだ。つまり、愛するという事を知る事だ。学生時代に不勉強だった人は、社会に出てからも、かならずむごいエゴイストだ。学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。そうして、その学問を、生活に無理に直接に役立てようとあせってはいかん。ゆったりと、真にカルチベートされた人間になれ! これだけだ、俺の言いたいのは。君たちとは、もうこの教室で一緒に勉強は出来ないね。けれども、君たちの名前は一生わすれないで覚えているぞ。君たちも、たまには俺の事を思い出してくれよ。あっけないお別れだけど、男と男だ。あっさり行こう。最後に、君たちの御健康を祈ります。」
『正義と微笑』太宰治
黒田先生の言葉、いかがでしょうか? 『正義と微笑』は、写真の『パンドラの匣』(新潮文庫)に収められています。
太宰の作品には、他にも印象的な言葉がたくさん出てきます。思春期に読んだ次の言葉も、私の記憶に長く刻まれています。
アカルサハ、ホロビノ姿デアラウカ。人モ家モ、暗イウチハマダ滅亡セヌ。
『右大臣実朝』太宰治
高校生の私は、自分でも暗い奴だったと思いますし、愛想も悪く、同級生からは今になっても、当時の私がいかに嫌な感じの生徒であったか、繰り返し聞かされます。そんな私でしたが、この言葉に出会って、明るい=良い、暗い=悪い、という単純な思考から抜け出せた気がします。とは言っても、太宰の言う明るいと暗いの意味は、十分理解できたとは言えないのですが。
何かのきっかけで、昔触れた作品を読み直してみるのもいい経験ですね。