本日は、大阪私立学校人権教育研究会(私学人研)の管理職研修に行ってきました。毎年、この時期に開催される研修会で、各私学の管理職が集まる、大事な研修会です。
今回の講演の講師は、青木佑太さん。幼い息子さんを白血病で失い、大きな喪失感を抱えながらも、その経験と、ご自身の大きく変わった死生観のこと、亡くなっていく人たちの人権のことなど、なかなかお聞きすることができない内容のお話を聞かせていただきました。陳腐な表現ですが、本当に涙なくして聞くことのできない話であり、また、青木さんが苦悩の果てにたどり着いた死生観について、私は自分の父と母の死にかかわって感じたり、考えたりしたことと共通することもありましたので、このブログで少しだけ振り返っておこうと思います。
一番大事なポイントとしては、人は自分の人生の主人公として、生きたいように生き、そして自分の死を考えながら自分らしい死を迎えるべきではないか、ということでした。青木さんは、病院で様々な治療法にチャレンジして、たとえそれがお子さんを苦しませることになっても、「一分一秒でも生きながらえてほしい」、という生きている側の人間としてはごく当たり前の感情から少し離れて息子さんの生と死について考えられたのでした。息子さんがある日、死期を悟ったかのように、周りの人たちに「大好きだよ」と声をかけて回るのを見た青木さんは、人としての自然な死期を大切にするべきではないかと考えました。それでも、今にも亡くなろうとする瞬間に、もう少しだけでも、という思いが強く、延命の手段を講じました。お世話になっている在宅看護師さんからの言葉もあり、最後は、一馬君という死を迎えようとしている人の生と死を大切にする観点を尊重し、ご自宅で家族の皆さんが見守り「ありがとう」と言葉をかけて見送ることができました。
人間は生と死が一体であることを知っている動物です。しかしながら、死というものに出会うとき、それはだれか「他者」の死であり、自ら死ぬという経験をすることはできず、誰か大切な人に死なれるという経験ができるだけです。ですが、青木さんの言うように、自分の一生は自分が主人公であり、そういう意味では、普段から近しい人たちと自分の死についても考え、それについて家族と話をすることが大切なのだろうと思います。
私は父母の体調が悪くなっていくときに、無理な延命措置はしないでおこうと考えました。でも、父が食事を口から摂れなくなったときに、胃ろうの手術を選択しました。その選択をしないということは、「餓死」させることだとしか考えられなかったのです。無理をさせたな、と父には申し訳ない気持ちでいっぱいでした。母は「自力」で92歳まで生き、食べることも飲むこともできなくなって、亡くなりました。それでよかったのだと思ってはいるのですが、今でも、本当に良かったのだろうか、という思いがよぎることもあります。
今回、青木さんのお話のおかげで、また亡くなった父と母のことに思いを馳せることができました。また、私もすでに60歳を超え、自分の人生の主人公として、どのように人生の坂道を下っていくかを日々考えるようになりました。青木さん、貴重なお話を本当にありがとうございました。
*お断りしておきますが、以上に書いたことは、「安楽死」のことではありません。日本では安楽死は認められていないのですから。人としての寿命を大切にし、自分の生に対しても死に対しても主人公としてどうあるべきかを考えること、そして、それは近しい人の考えや行動を尊重することでもあるということを書いています。