つくったときの感覚には、もう戻れない。
とにかくたくさんの音や詞に触れたかった高校1年生のころの僕が出会った1枚のアルバム。Eric Claptonの『Unplugged』。「Tears in Heaven」は紛れもなく名曲だし、「Layla」や「Old Love」もさすがにカッコいい。ただ、当時の僕はいまひとつ納得がいかなかった。カッコいい「Layla」や「Old Love」は、オリジナルのままでも突き抜けてカッコいいのだ。そう、オリジナルが突き抜けてカッコいいからこそ、僕は納得いかなかった。これってアコースティックでセルフカバーする意味あるん? これが16歳の僕の率直な感想。まぁ、そもそも『Unplugged』自体がMTVの企画であって、そこに乗っかる以上はある程度は仕方ないと分かっていながらも、でもやっぱり釈然としない気持ちを抱えたままカッコいい曲たちを聴いていた。
参考までに「Layla」の原曲とアコースティック、どっちもYouTubeを貼っておくので聴き比べてみてほしい。ちなみに原曲はCMとかでも割とお馴染み。
さて、ちょっと前に珍しくTVの音楽番組を観ていたとき、「懐かしの90年代ベストヒット」的なコーナーがオンエアされていた。僕の青春は世間的にはもう懐かしの時代なのだということはまた別の問題として、ふとあることに気付いた。現在の僕は、あの頃と同じ気持ちでこれらの曲を聴けない。当時刺さった詞も、今の僕のど真ん中からは外れてしまった。これはまぁ当たり前のことなのかもしれない。歳をとったんだろう。でもそれは聴き手の僕のこと。じゃあ、表現者であるアーティストはどうなんだろう。その曲を、その詞を書いた当時と同じ気持ちでそれらを発することができて……いるわけないよな。現に今の僕は、10代や20代の頃に自分が書いた曲を演奏するときも40代の僕として演奏しているし、詞の解釈だって当時のままではない。僕はもちろんプロのアーティストではなくて、技術も才能も到底及ばない。でもその感覚は同じ人間である限り、ある程度は共通のものだと思う。
また輝くために、あえて一度、抜いてみる。
ここまで考えたとき、アコースティックでのセルフカバーにどんな意味があるのかという16歳の自分の疑問への答えが、何となく出た気がした。MTVの『Unplugged』のコンセプトとは離れるのかもしれないけど、それってその曲や詞に新しい意味付けをするということなんじゃないか。つまり昔の自分の分身(=曲や詞)に、日々変わっていく自分を重ね合わせる(=アコースティックでのセルフカバー)ことで、新しい価値を付け加えていくということ。
そう、僕らは日々アップデートされている。目に見える大きな変化なんて滅多にないかもしれないけれど、小さなところでも必ず何かが変化している。だから要は、その小さな変化に気付く自分でいられるかどうかということ。今の自分と向き合うために、あえて一度plugを抜いてみよう。きっとそこに見える自分は、自分の知っている自分とは何かが変わっているはず。そしてUnpluggedな自分が、Pluggedした自分とはまた違った輝きを持っていられますように。