薄暗い廊下の先に
ぽろんぽろんと、ピアノの音が聞こえた。人通りの少ない静かな場所だったからか、おそらく普段なら気にも留めないようなその音色につい耳を傾けた。聞いたことのある曲が少し聞こえてきて、止まって、また違う曲が聞こえてくる。アルバムの曲を冒頭だけ再生しているような、そんな感じだが、よくあるアンティークなカフェのBGMとは何かが違うようだった。一体誰がなんのためにこんなことをしているのだろう?音のする方に歩いていくと、暗いレンガで作られた廊下があり、足元に線路の跡がみえる。どうやらここにあるカフェから聞こえているようだ。入り口まで行くと、懐かしい焦げたような匂いがした。私はその不思議な感覚に一人でぼーっと立っていた。
オレンジのゆらゆら
「入りますか?もう少ししたら始まりますんで」ドアを開けて声をかけてくれた店員さんの肩越しに、薄暗い店内の様子がうかがえた。不思議な匂いの正体は至る所に置いてあるアルコールランプで、ゆらゆらとオレンジの優しい光でお客さんたちを照らしていた。びっくりしたのは、中にいたお客さんの数だ。通りまでピアノの音が聞こえてくるくらい静かなカフェからは想像もつかないくらい、たくさんの人が見えた。奥にはライトアップされたピアノが置いてあって、その横に「生演奏」と書かれた小さな立て看板があった。なるほど、このために、これだけの人が集まったのか。
人が多いところにはずいぶん長い間行っていなかったので抵抗がありそうなものだが、お客さんたちがあまりにも静かだったからか、全く気にならなかった。どうやら席はあと一つしか残っていないようだし、特に予定もない。一人で入ってみることにした。ホットコーヒーを頼んで席につき、揺れるランプの炎を見ていると(私なんて生まれた時から電気の世代なのに!)なぜかノスタルジックな気持ちになってくる。この地域で活動されているらしいピアノ奏者の方が、どうぞ短い時間ですがと挨拶をしている。生演奏の時間は30分弱と、たしかに短いなあと思っていた。
経験したことのない何か
ものすごく失礼な話なのだが、演奏がどうだったか、なんの曲だったかはあまり覚えていない。ただ、深く感動したのだ。演奏を聴きながら、本当に泣きそうになった。目の前で演奏されているピアノの音色、演奏している人の腕に滲む汗、隣で聞いているお客さんたちの息づかい、エタノールとコーヒーの混じった匂い、ランプに照らされた木のテーブルが帯びている熱、なんだか全てのものが一気に押し寄せてきて、圧倒されてしまった。Zoomで研修を受け、Youtubeで授業を配信し、Meetで会議といった生活が続いていたからか、オンラインでできないことなどほとんどない!とすら思っていた私にとって、この経験は衝撃的なものだった。
空間をオンラインで共有できるか
「学校で授業を受けるメリットとは何か」といった議論が、オンライン生活が始まってから色んなところでされるようになった。動画の授業で済むのであれば学校の先生は必要なくなるのでは?という焦りもあって、Youtubeの先生たちに負けじとライブ感のあるオンライン授業を作ることに工夫を凝らしたこともあるし、中学2年生の授業で先生向けにつくられたアンケートに頭をひねって回答したこともあるが、正直答えはわからなかった。音楽(楽器演奏やライブ)ではオンライン配信よりも実際に聞く方が脳が活性化されているという研究結果もあるそうだが、この時私が体験した感動はそれだけではないと思う。自分のクラスにだけ先生が面白い雑談をしてくれた時のような、たまたま良いカフェを見つけたお得感なのか。この音や空気感、瞬間は二度と戻ってこないという、時間の尊さなのか。誰かと一緒にその空間を共有しているという、一体感なのか。
良くも悪くもこの日以来、ずっと答えを求めて考え続けている。オフラインが無条件に良いとは思わないけれども、あの日の、泣きそうになるくらいの、圧倒的な何かが、なんなのかを知りたい。ここで紹介しているカフェは実在するので、気になった人はぜひ私に聞いてください。あと、同じような体験をした人がいたらぜひお話しましょう!