同志社女子大学名誉教授 / ネオミュージアム館長 上田信行

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INTERVIEW

2024.01.30UP

学校を憧れの最近接領域へ。頭だけではなく身体で感じる学びを。(前編)

PROFILE

上田信行

同志社女子大学名誉教授 / ネオミュージアム館長

同志社女子大学名誉教授、ネオミュージアム館長。1950年、奈良県生まれ。
同志社大学卒業後、『セサミストリート』に触発され渡米し、セントラルミシガン大学大学院にてM.A.、ハーバード大学教育大学院にてEd.M.、Ed.D.(教育学博士)取得。専門は教育工学。
プレイフルラーニングをキーワードに、学習環境デザインとラーニングアートの先進的かつ独創的な学びの場づくりを数多く実施。
1996~1997ハーバード大学教育大学院客員研究員、2010~2011MITメディアラボ客員教授。

INTERVIEWER

池谷陽平

探究科 Driver

Theme1

MITメデイアラボのスピリットをカタチに。
3R’sから3X’sがニューリテラシー。

今日は上田先生の授業を見学させてもらって、また学生の皆さんに混じり、ワークショップにも参加させていただいて、本当にいろいろなことに感銘を受けました。こんなに刺激になることってなかなかないくらい。

それはありがとうございます。特にどういった部分に感化されましたか?

まずはやはり上級生の学生数人による場のつくり方ですよね。何から何まで優秀で、とにかく素晴らしかった。むしろ上田先生が彼女たちのサポートをするくらいの感じで授業が進む部分すらあって。

彼女たちは私の研究室で学んでいる4年生の生徒で、『ガールズ・メディア・バンド』と呼んでいるチームのメンバーです。1年間に50本ちかいワークショップをやっていて、その中でいろいろな力が育まれたんじゃないかな。

50本! 僕たちより多い……(笑)

私がMITメディアラボから日本に帰ってきた後に、現地で見たこと・学んだことを日本でも実践するためにいろいろと取り組んできました。その中のひとつが『ガールズ・メディア・バンド』であり、また『Playful Learning Atelier』と呼んでいる私の研究室でもあります。

MITでの経験が大きな影響を持っているんですね。

それは間違いありません。僕は1年間、MITのメディアラボにいたんだけど、とにかく世界中から“超天才”が集まる大学ですから。合格倍率も200倍くらいなのかな? 毎日いろいろなゲストがきて、どんどん新しいことが生まれていく。もうね、毎日がお祭りですよ。本当にびっくりして。

日本の大学とはぜんぜん違いますね。

そうなんです。そしてMITメディアラボでは大学院生が教授と一緒に研究を行うんだけど、企業からもお金が出ているので、言わばスポンサーがたくさんついている状態。僕がすごく印象に残っているのが、メデイアラボの創設者であるニコラス・ネグロポンテさんが、院生の学生たちに向かって「誰が君たちの授業料や研究費を出しているかを自覚して、スポンサーにどのように貢献すべきかを考えなさい」といったことを伝えていました。

もはや勉強というよりも、仕事の感覚ですね。

そうだよね。だからメデイアラボの学生たちは、学校と別の場所でアルバイトをしなくても大丈夫なんです。

そういう環境を日本の大学にも取り入れたくて、上級生が授業をサポートできる状態をつくったということですか?

もちろん100%の再現はできないんだけど、近いことをしたくて。自分のゼミの生徒たちに「みんなでなにか面白いことをしよう!」と声をかけてできたのが『ガールズ・メディア・バンド』です。

教育業界のオーソリティとは思えないほど、カジュアルで優しい語り口が印象的な上田先生。

上田先生との対談は2回目。話を聞く池谷先生の表情は真剣そのものです。

池谷先生が感銘を受けたガールズ・メディア・バンドのメンバーたち。上田先生をサポートし、授業を進行していきます。

女子大だから「ガールズ」というのは分かります。「メディア」と名付けたのはなぜですか?

まずかつて『3R’s』という言葉がありました。つまり「読み・書き・そろばん」です。それに対して今は『3X’s』が必要だと思っています。

「エックス」ですか?

うん。つまりXとは「eX」のことなんだけど、ひとつは「eXplore」で、これはまさに池谷先生たちも取り組んでいる「探究」ですよね。あとは「eXpress」「eXchange」の3つです。これからは「3R’ s」はもう当たり前で、それよりも「探究」を通して知ったことや気づいたことを「表現」して、さらに他者とコラボレーションしながら「interaction」する。それが“ニューリテラシー”なんです。それに「eX」を接頭語とした単語は「eXcitement」とか「eXperiment」など、他にもいい言葉がたくさんあるから。

『3R’s』というInput型の学びから『3X’s』というOutputの学びへのシフトですね。

この『3X’s』を多様なメディアを使って、すなわち探究と表現と交流を流暢にやってのける新しい女子大生像を社会にアピールしたかったんです。そのために僕の研究室では、ラーニングとメディアとデザインをスーパーインポーズ(=superimpose)、つまり重ねながらプロジェクトをデザインし、パフォームしています。

『3X’s』というOnput型の学びを、Technologyも含めた多様なメディアを使って学びの場をデザインする

学生に混ざってワークショップにも参加。並びの奥に池谷先生をはじめとした探究科の先生たちの姿が見られます。

その場で生成されていく授業の内容を、上級生たちが即興でスクライビングしていきます。

先輩たちが授業を進めていくあのやり方は、僕たちも高校で取り入れたいと感じました。

それはすごくいいと思いますよ。先生と生徒の間に上級生が入る方法を、僕は他の大学でも実践しています。今日の授業で『ガールズ・メディア・バンド』たちがやっていたように、ワークショップの内容の説明に始まり、ドキュメンテーションやスクライビングなどをやってもらう。今日は8人の上級生が入ってくれていたけど、8人でも足りないくらいだよね。一度あの面白さをしってしまうと、もう1人でやる普通の授業には戻れません。

やはり「1人対40人」と、「8人対40人」ではまったく違いますよね。

そうなんです。けっきょく教える側が先生1人だと “レクチャー”になってしまって、どうしても先生が考えていることを生徒に向かって話していくカタチになるでしょ? でも8人いると、その場で“学びの場をジェネレート(=生成)”していくことができます。もちろん事前に授業の設計はしないといけないけど、それに縛られてもダメ。「これをやれば、こういう結果がでる」っていう考え方ではなく、授業の場からどんな学びが立ち現れてくるかを全身で感じ取りながら授業をドライブしていかないといけません。一人ひとりの学びが編み上がっていく、メッシュワークのような授業ですね。先生が予定調和的に落とし所を決めておくようなやりかたをしなければ、授業は絶対面白くなりますよ。

特に探究においてはそうだと思います。

その通りだね。探究学習において「決めたことを教える」というのは矛盾してしまうから。この辺りの考え方は、教育家の市川力さんの『ジェネレーター:学びと活動の生成』という著書が参考になると思います。

以前、紹介してもらった本ですね。

まさに先週もその市川さんと九州女子大学で2日間の合宿をしてきました。そこの学生たちも、うちの『ガールズ・メディア・バンド』のような動き方をしていましたよ。市川さんとも「出来るだけ学生と共に、その場、その状況、その瞬間を生きて行こう」という話をしていました。「夢中になっている間に気がついたら、面白い授業になっちゃったね」みたいな感覚が大切ですね。 

予定調和的に落とし所を
決めるやり方を止めた方が
絶対に面白くなる。

Theme2

ポテンシャルを伸ばし、憧れに手が届く場所。
それが学校のあるべき姿。

MITから日本に帰ってきた後、具体的にはどういった教育を実践したいと考えていましたか?

まずはプロジェクトベースで、何か新しいものを開拓したいという情熱で動く『パッション・ベースド・ラーニング』をやろうとしました。より社会的で情動的なスキルを重要視した学びですね。さらに体験だけでは蒸発してしまうので、池谷先生たちも大切にしているリフレクションを行うことで、振り返りながら意味そのものを生成するような“スーパー・コンストラクショニスト・ラーナー”の集団をつくりたいと考えていました。

「情動的な学び」と、リフレクションによる言語化の関係って、どう捉えていますか?

その疑問と関係しているか分からないですが、以前からずっと気になっているフレーズがあって、それはジョン・レノンの「God」という曲の冒頭にある「God is a concept」、つまり「神は概念だ」っていう1節なんです。「God is a concept by which we measure our pain」と続くんですけど、つまり「神は私たちが痛み(苦しみ)を測る(measure)ための概念だ」とあります。この“メジャー”といういのがいい言葉だなと感じていて。「何を測るのか」、つまり「何に注目するのか」、そして「何を実現したいのか」という点ですね。この曲では痛みを測ると歌われています。ジョン・レノンがどういう風に考えていたのかわからないけれど、僕は、神という存在が、痛みを理解し、克服するための希望だと言いたかったんじゃないかなと思う。そうすれば、僕はいったい「授業を通して、学生の何を克服し、何を実現するために、やっているんだろうか」と考えました。どう思いますか?

上田先生が提唱する概念としてよく知られている”プレイフル”ですか?

そうですね。そして測るもの、実現したいもの、として僕が思いついたのが『Hope』でした。“希望”を実現するために「プレイフル」という尺度がいるのではと思って。そんな話をしていると、知人に「上田先生の場合は『Possibility』では?」と言う人もいました。これも面白いですね。改めて僕は“希望”とか“可能性”とかに興味があるんだということを自覚して。パウロ・フレイレという哲学者が『希望の教育学(Pedagogy of Hope)』という本を書いているのですが、僕の場合は『可能性の教育学』みたいなことがやりたいんですよね。自分のポテンシャルに対する希望です。

それが教育に対するモチベーションになっているということですか?

うん。どうして教育をしているか、また自分自身もどうして今なお学びたいと感じているか。その答えは「自分はもっとできるんじゃないか」という思いがあるからなんです。今日、みなさんに見学してもらった授業でもBTSの「Yet To Come」という曲の「best moment is yet to come」という歌詞を引用して学生たちに話しました。つまり「ベストな瞬間はまだきてない」ということです。でも必ず来る。そう信じているんですね。僕は来年73歳になります。日本人男性の健康寿命が73歳くらいらしいので、もうちょっとヤバくなってきているけど(笑)、でもまだこれから絶対に来ると信じています。以前MIT メディアラボで研究をしていたデザイン・サイエンティストで、私の友人でもあるジョン・マエダさんも、いつも「小さくまとまったらダメ」と言っていました。小さくまとまっていいことなんかひとつもないって。僕もそういう教育をやりたいんです。

生徒たちの可能性を広げたいということですね。

そうですね。なぜ学校に行くか。それはやはり自分のポテンシャルを開花させるためですよね。そのために必要なことを学んだり、仲間と一緒にいろいろなことをしたりする場が学校だと思っています。

学校という場所を「憧れ」というキーワードで紐解き、定義づける上田先生。
その考え方を聞いて、池谷先生も深く共感していました。

そこから生まれたのが『憧れの最近接領域』という考え方ですよね。

はい。これはヴィゴツキーというロシアの心理学者が唱えた『発達の最近接領域』になぞらえてつくりました。学校は憧れに最近接する場所であり、そこに行けば憧れに手が届くと思える場所であるべきです。例えば音楽の世界で、同じ事務所の憧れの先輩たちが歌っている後ろでバックダンサーとして踊っている時、自分のすぐ前に憧れのスターがいるでしょ? 学校もそういう感じの場所であってほしいと思います。そういう意味では大学を選ぼうとしている高校生は、憧れの未来の先輩がいそうな大学を見つけないといけません。思いっきり自分らしく過ごして、自分のポテンシャルをいちばん伸ばせそうな大学選びができるといいですね。例えば「深く考えずに普通の大学に来てしまったけど、美大に行った方がよかったかも」みたいなことは悲しいから。

確かにいい大学に行かないと、いい人生が送れない時代ではないですからね。

昔はそういったことがよく言われていましたね。例えば関西にいたら「京大や阪大に行かないと、いい就職はできないよ」なんて。今はそんなこと、あまり言わないよね。アメリカなどでは、就職先を選ぶ時には「どれだけ成長できるか」「どれだけ学べるか」っていうのが大きいんです。向こうはジョブホッピングが当たり前で、ひとつの会社にずっと勤める方が珍しい。誰もが「次はどの会社へ行こうか」「そこでは何を学んで、どんな役職につけるか」といった意識が強いですよね。

このトークセッションは池谷先生のみならず、探究科の他の先生たちも交えて行われました。

ここまできて、やっと先ほどの疑問に対する答えですが、学びに夢中になっている情動的な学びを振り返りながら、それを言語化することによって、自分のポテンシャルを信じて、その実現のために本気で取り組むというメンタリティが鍛えられると思います。

「情動的」だからこそ、振り返りで気づけることがあるんですね。

そうなんです。そして大学だったら4年間の中で、自分の可能性を自分の言葉で誰かに伝えられれば、それだけで素晴らしいと思っています。 

学校は憧れに最近接する場所であり、
そこに行けば憧れに手が届くと
思える場所であるべき。

Theme3

頭で考えず、身体化する。
修験道と教育に共通する考え方とは?

少し話が飛びますが、先日、修験道の人と合う機会がありました。ご存知ですか? 修験道。

あの「白装束を着て山に登る」みたいなものですか?

そうです。山岳信仰と呼ばれる日本の宗教の一つですよね。その道で「先達」と呼ばれる方との対談をお願いしますと言われてお会いしました。そんな人に対して、僕がどんな話をすればいいんだろう……と心配しながらすごく緊張した状態でお会いしました。その「先達」と呼ばれる山伏の方との対談のことをすこしお話してもいいですか。時によって違うのですが、彼は10数名から、多い時では30名ぐらいの人と入山するそうです。2泊3日もあるそうですが、日帰りの場合は、約6時間しゃべってはいけません。

え、すごい……。そもそも山を登ることにどういった狙いがあるんですか?

山に神々が宿るとし、崇拝しながら自然と向き合うのでしょうね。細かいことは分からないけど、山に入ることで、一度死ぬということになっているようです。生まれ変わるために、山に入るということですね。あと興味深いのが、先達に何か言われたら、必ず「うけたもう」と返事をしないといけないという決まりがあります。たとえば「今から滝に入る」と言われると、必ず「うけたもう」と言う。この「うけたもう」という言葉、僕が聞いた感触では「言われたからやる」のではなく「自分の意思で挑戦してみます」という意味なんじゃないかと思うんです。僕が学生に何かお願いしても、誰も「うけたもう!」とは言ってくれないけどね(笑)

先生が何か言った時に、生徒全員が必ず「うけたもう!」って言ってくれたらいいですね(笑)

そうなんです。「まずはアクセプトしましょう」っていう意味のこの言葉はとてもいいですよね。そして「斎行(さいこう)」という言葉もあります。「斎行」というのは心身のけがれを清めて神に仕えることだそうで、「謹んで行います」というように使われます。先達に「滝行を斎行する」って言われて、「うけたもう!」って応える。この「うけたもう」とお祈りの祝詞やお経以外は、声を出してはいけないそうです。基本的には「無言行」ですね。そして山から降りてくると、今度は焚き火の上を飛び越えます。その時に「オギャー」と言う。つまり「ここで生まれ変わった」という意味ですね。

6時間前の自分ではなくなるってことですね。

その後に「直会(なおらい)」という行事があって、やっとみんなでご飯を食べて、自己紹介をして、感想を言い合います。これはまさに“リフレクション”ですね。山の中でいろいろなことを気づくんだけど、気づきをすぐに話すと、頭で理解したことになる。身体に沁み込まないうちに考えてしまうからでしょうね。大切なのは徹底的に感じることだということが分かりました。

頭ではなく、体に入れるというか……

まさにその通りです。山にいる間は、いろいろと自問自答するでしょ? 6時間も歩いて、すごく苦しいから「僕はなんでこんなことをやってるんだろう」って。それに何を言われても、すべて「うけたもう」って応えるしかない。そんなきつい状態だから、下山後のリフレクションがすごく大事なんです。頭で考えずに、まずは体の中に湧き上がってきたものに意識を向けて、その後に頭を使って「これってどういうことかな?」って理解するんだね。これはすごくよくできているなと。教育に照らし合わせても、とても理にかなっていると思います。まずは「FEEL」、そして「THINK」だね。

やっぱり体験ファーストですね。

僕自身、先達との対談の前に「一緒に入山して体験する必要があるのでは?」とこのセッションを企画した方に尋ねたのですが、ワークショップと修験道に共通するのは「体験がすべて」ということなので「上田さんはワークショップの本質を先達に話してぶつかっていってください」と言われました。対談が終わってから、やはり一緒に山を歩いてみたかったと改めて思いましたね。

全員が夢中になって取り組むワークショップを見守る上田先生。

出来上がった作品を見て、時に声をかけながら、よりよい場をつくり上げていきます。

先ほどの授業でも、「発酵させる」というキーワードと絡めて同じような話が出ていましたね。

よく覚えていましたね。この辺は「発酵」とか「熟成」といった言葉で説明することが多い話です。体験したことを熟成させるのが大切。実は「発酵」と「熟成」も意味が違っていて、熟成っていうのは深まるイメージで、発酵は別のものになるってことですよね。僕は発酵のことを『プランC』という考え方で説明しています。つまりAでもなく、Bでもない、プランC。Aという意見とBという意見を“クラッシュ”させることで、さらにいいものをつくる感じですね。ここでの「クラッシュ(Clash)」というのは、衝突するようなイメージではなくて、創造的な対話です。それをすれば必ず「C」が出てくる。これが「発酵」なんじゃないかなと思います。

まずは体の中に湧き上がって
きたものに意識を向けて、
その後に頭を使って理解する

後編はこちら

INTERVIEWER'S VOICE

池谷陽平

この記事は、2022年11月17日に、同志社女子大学の吉永紀子先生の授業である『教育の方法と技術』に参加させていただいた後、上田先生にインタビューしたものです。それを1年ほど寝かせて、発酵させた原稿であり、内容はこれからもどんどん変化していく“生成的原稿”のプロトタイプです。ぜひ今後をご期待ください!

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