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先生こそが一番クリエイティブに。
そのために外部とのコラボレーションを。
(前編はこちら)
海外での生活が長かったヒナコさんが日本の子どもたちを見て感じることはありますか?
これまで6年ほど、海外研修プログラムの現地コーディネートを担当することで、多くの中高生と関わってきました。その中で思うことはたくさんあります。まず、好きなことや趣味が特にない子が多いということ。そんなこと、ないですか?
その通りです。そういう子、めっちゃいます。
ですよね? どんなことでもいいから、何か好きなことや夢中になれることがあって、自覚できていればいいんだけど、自分の「好き」や趣味が分からない子の場合は、どうしたらいいのかなって思って。
それは現場で一番の課題と言ってもいいでしょうね。小さな頃から勉強だけをやってきて、いざ高校3年生になって「大学はどこにいく?」「何がやりたい?」って聞いても「別に……」みたいな。だから日本の高校生の多くが「自分の成績がこれくらいだから、いける大学はこの辺……」っていう選択にしかならないんです。
え! そうなんですか!?
はい。ほとんどがそうです。「何がやりたいか」ではなくて「成績的にこの辺り」っていう選び方。「どんな目的でその大学に行くのか」とは考えられないのがスタンダードですね。生徒もその親も「大学くらいはいっておいた方が……」とか「少なくともこれくらいの偏差値の大学には……」と考えるのが普通なんです。この価値観を崩すのが本当に難しい。
進学に対する姿勢がそうだと、職業選択や就職活動に対しても同じような考え方なんでしょうか?
ほぼ一緒だと思います。だから採用する側も「どれくらいの大学に行ってるか」という尺度である程度ふるいにかけるんじゃないですかね。「その人自身を見て、中身を大事にする」っていう考え方は、就職においても教育においても、まだまだ遠いと思います。というのも1クラスに40人もいるわけで、無意識のうちにその半分くらいをロボットのように扱ってしまうのも、ある程度は仕方ないんです。
そうですよね……。
僕自身、定期テストや模擬試験の監督をやっていて、そこにいる全員が60分にわたってカリカリと問題を解いている姿を見ているわけです。そうすると、なんというか、ものすごい感覚に陥りますよね。みんなが個性のないロボットに見えてきて。それを強制的にやらしている側にいる自分をヤバいと思わなくなったら終わりです。
う〜ん、日本の先生は大変ですね。精神的な余裕も時間的な余裕もぜんぜんなさそうだし。
先生にそういった余裕は1ミリもないでしょうね。でもそれって子どもたちに伝わってしまうと思います。先生こそいちばんクリエイティブにならないといけないのに、たった一つの正解に導くばかりの授業をやっていると、子どもたちの中にクリエイティビティが育まれません。
まさにその通りだと思います。それは学校だけじゃなくて会社においても同じ。一緒に働いている先輩や上司が連日夜遅くまでガリガリ働いていたら、周りは良くも悪くも影響を受けて「私も頑張って働かないなきゃ!」ってなりますよね。その現象と似ていて。先生という立場にある人たちの仕事量やタスク内容、もちろん責任も含めて、比重と負担が大きすぎるのではと懸念しています。先生たちこそ、ゆっくりと考え事をしたり、少しでもリラックスできたりする余裕と時間が設けられるといいですね。
本当にその通りです。でも現実はなかなか難しくて……。
そうでしょうね。だから池谷先生のようなパイオニア的な存在の方を、外部の人がどうサポートできるかが大事だと思うんですね。やっぱり学校の内部の人がイノベーションを起こそうと思っても、しがらみがいろいろとあるだろうし、そもそも時間もないだろうし、途中でしんどくなっちゃう。そういう時にこそ、外部の企業とうまく絡むことで、一気に楽になると思いますよ。
そう。それ、めちゃめちゃ大事です。確かにパイオニアとなる先生たちは、外部研修に集まってきて、同じ志を持つコミュニティができるんです。みんなが「これ、いいよね!」「新しい日本の教育のために頑張ろうね!」って。
うんうん。そうですよね。
だけど自分の学校に帰ると、現実の難しさに直面する。もしくは自分が担当するクラスの中だけでは実践するかも知れないけど、そこからは広がらない。その後また研修で集まってきて、コミュニティは大きくなっていくけど、また学校に戻ると根付かない。そんな繰り返しが日本中のさまざまな学校現場で起きています。
あくまで“点”のままで、広がっていかないんですね。
そうなんです。そういう点をたくさん増やしてもあまり意味はないので、「学校を丸々変えました」っていう事例を増やしていかないといけません。
日本だとN高なんかもその一例ですよね。
そうそう。でもそういった事例を見たとしても「それははじめからそういう目的のもとにつくられた学校だからできるんでしょ?」って諦めてしまう先生も多くて。だからこそ僕はすでにあるいわゆる“普通の”学校でそれをやりたいんですよね。その事例をひとつ作るだけで、広がり方はぜんぜん違うと思うので。
うん、素晴らしいですね。
そう考えた時に、例えばヒナコさんのような専門性をもった人を外部から呼んで「これはこういった理論に基づいてやっているんですよ」ということを語ってもらうのは、すごく重要なことじゃないかな。また世の中には学校の先生たちには扱えないようなツールがたくさんあって、そういったものが教育の可能性を広げると思っています。子どもたちが社会と接続する瞬間にもなるし、先生のアップデートにもなる。すごく効果があると思いますよ。
パイオニア的な先生を
外部の人がどうサポート
できるかが大事。
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エンパシー(共感)をベースとした
セーフスペースを、学校に。
他にも日本に戻ってきて感じることはありますか?
はい。日本の文化や社会に再適応中とはいえ、たくさんあります(苦笑)。例えば女性の生きづらさやジェンダーギャップ。業界にもよりますが、これに関しては構造的差別が根強く感じられますね。これはドミナント・カルチャー、つまり現在マジョリティーに置かれているカルチャーがなかなか変わらないことからくるものだと思います。何か社会問題に対して声をあげても変化に直結しづらいし、反映されづらい社会構造があるので、時おり疲れてしまいますよね。
やはりアメリカとは違いますか?
はい。例えば私が16年住んでいたボストンには、誰でもある程度は選択・言論・表現の自由が認められていて、実力や熱意があれば、対等でかつフラットに評価されるカルチャーがありました。でも日本の場合は、イデオロギーやスキルよりも人間関係の方が重視される部分が多くて、構造的に打破が難しい状況があると思います。
確かに学校においても、管理職や主任、部長といった役職についているのは、まだまだ男性が多いと思います。そんな中で女性の先生や職員がどんな思いをしているのか。すごく言い出しにくいと思います。素直に思いを話した時に、何を言われるか分からないっていう状況で、安全ではない職場になっていると思います。
そうですよね。そもそも日本では「フェミニスト」っていう言葉だけでもネガティブな文脈に捉えられることも多くないですか? 「女性を大事にしたらいいんでしょ?」みたいな。そういうことじゃ全然ないんだけど、毎回説明するのも疲れるから諦めちゃう時があります。
日本で感じるそういった違和感は、音楽の世界においてもありますか?
ありますよ。例えば日本では「女性ドラマー」とよく言いますよね。わざわざ「女性」ってつける意味ってなんだろう? さらにヒットチャートをつくる人たち、フェスティバルに出演するアーティストを決める人たち、あらゆるコンペティションの審査員……、そういった重要な意思決定がされる場面に関わる人のほとんどが男性です。日本に住み始めてから「え? こんなにジェンダーギャップがあるの??」と驚く場面が本当に多くて。メディアでも当たり前のように「女医」「美人すぎる〇〇」と表記されているのを見かけたりすると、やはりドミナント・カルチャーによるマイクロ・アグレッション、つまり無意識なものも含めた差別や偏見などが大きいのかな、と感じます。
あと、「日本人は思いやりがある」という話もたびたび耳にしますが、それも「ほんと?」って思うことがあります。例えばSNSなどの匿名文化の中では言いたい放題ですよね。それで問題になる場面もよく見かけるし。あと日本語自体がハイコンテクストカルチャーというか、「行間」「空気」「以心伝心」といったものを尊ぶ文化があるんでしょうけど、空気って何?(笑)。それって言い換えれば、一人ひとりの境遇や感性を丁寧にひろってコミュニケーションをする代わりに「同じ場所に生きている=ある程度は同じ時間と価値を共有している」といった安易な前提があるような気がします。
間違いないです。例えば学校においても、先生たちは勝手に「同じグループにいる子どもたちは、だいたい同じようなことを考えている」なんて思いがちで。だけど実際はぜんぜんそうじゃないんです。
そうですよね。その点、池谷先生たちと一緒に視察に行ったミレニアムスクールでやっていたエンパシーベースのコミュニケーションは、すごく良かったなと思って。
朝にやっていた『フォーラム』の時間ですよね?
そうです。あの学校で実践しているエンパシーファーストな教育は、私の中ですべて腑に落ちました。学校の中にコンフォートな状態のセーフスペース、つまり心理的に安全な環境をつくったり、ほかの人が喋っているのを遮らないように『ボディランゲージ』や『サインランゲージ』を取り入れたり。
音を出さずに伝え示すやり方、僕たちも体験させてもらいましたね。
ああいうアプローチはすごくいいなと思います。大人になると、そういうことを無視する人が多いから。
みんな、遮りまくりますからね(笑)。人が喋っている途中にもかかわらず「だけどさ……」みたいな。
そうそう。そういったことを意識せず日常的にしてしまうと、特に子どもたちは「また否定されるかも、遮られるかも」と思ってしまうし、彼ら・彼女たちはちょっとしたきっかけでとてもセンシティブになってしまいます。だからこそ非言語コミュニケーションを取り入れるミレニアムスクールの手法はとてもいいですよね。アプローチの方法自体はアートでも音楽でもなんでもいいし、音楽と言ってもピアノみたいな楽器じゃなくてもいい。身の回りにある、音が出るものなら問題ありません。生徒一人ひとりに寄り添う、エンパシーファーストで、ケアがあるカルチャーを各学校がそれぞれにつくっていけるかということが、日本においては大事だと思います。
実はあれは追手門でも取り入れようとしているんですよ。例えば週に2〜3回は、通学してから1時間目が始まるまでの朝に時間に、みんなでホールに集まって、円になってマインドフルな状態をつくりだす取り組みです。すでにミレニアムスクールのクリス先生にも相談をしていて、先生側のトレーニングもしてもらう予定です。
すごくいいですね。これからの時代、本当にエンパシーや共感力が大切になってくると思います。日本もこのまま高齢化・少子化社会が進めば国内の労働人口が総合的に減少していって、移民の増加に伴う言語・文化・コミュニティのさらなる多様化が想定されます。グローバリゼーションが進む中で、他人の千差万別な事情や境遇に寄り添うエンパシーをもって日々のコミュニケーションに反映できる人が少ないと、例えば「中国人が住んでいるマンションには住みたくない」などと安易に言ってしまう人が出てくるのかなと思うので……。みんなそれぞれに「普通」が違うんだし、私たち一人一人にバイアスがあるということを知らないといけない。そういう部分の教育まで、学校が担えると素晴らしいですよね。
エンパシーファーストで
ケアがあるカルチャーを
学校がつくっていけるか。
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大切なのはスキルの獲得にあらず。
日本の探究学習に新たな定義づけを。
日本の子どもたちには例えばサマースクールのように、学校とは別のスタイルのラーニングを取り入れる時間や余裕はあるんですか?
基本的にはないと言っていいでしょうね。いちおう1ヶ月間の夏休みを利用して短期留学にいくプログラムを学校が用意していますけど、それくらいかな。それこそそういうタイミングで、ヒナコさんのような外部の教育関係者に来てもらって例えば「音楽をつくってみよう」みたいな授業があるのもいいなと思います。それらを子どもたちが自由に選択できるっていう。
そうですよね。アメリカは夏休みが5月〜9月と長く、その間に学生たちはインターンシップやアルバイトとして興味がある職種・職業体験をしたり、サマーコースを受講したりしています。サマーキャンプもたくさんあるのですが、キャンプといってもテントに泊まって合宿などという意味ではなく、例えばプログラミングや音楽制作などのスキルを集中して学ぶ夏季集中プログラムです。
う〜ん、日本にもそういったものがあるといいですよね。
しかもこういったキャンプは、社会人向けのものやファミリーで参加できるものも多いので、同じ年代だけでなく多様なバックグラウンドを持った人が集まって、共同体験を通してスキルや知識を学んでいくことができます。いくつになってもセルフデベロップメントに投資する機会と、コミュニティを通した人とのつながりを深める場があることは素晴らしいですよね。とはいえ、日本の教育現場に視点を戻すと、いろいろなしがらみや先生のキャパの問題もあって、学校が提供できることには限界があるのも分かります。そういった時に、学校以外の会社やサービスをどれだけ活用できるかが鍵ですよね。
確かに「自分がやりたいことは、学校以外の時間で育むべき」と主張する声もたくさん存在します。ただ生徒たちは朝8時過ぎには学校にきて、16時過ぎまで授業を受ける。終わったら18時まで部活をやって、そこから家に帰って宿題をして……っていう生活です。それだけでいっぱいいっぱい。すでに遊ぶ時間もありません。
そうですよね。かわいそう。
余白がなさすぎるんですよね。夏休みもたかが1ヶ月で、しかも宿題がたくさんある。なんでもかんでも学校が縛りすぎなんです。
なんで日本の学校は夏休みにそんなに宿題をたくさんやらせるんですか?
本当にそう思います。理由としては先生が「1年間でここまで覚えないといけない」って思い込みすぎているんでしょうね。だから夏休みの間に忘れられたら困ると。
なるほど。“記憶至上主義”というか、暗記ベースの教育が残っているんですね。
めちゃめちゃ残っています。でも小学校の夏休みには、何かに挑戦したり、自分が好きなことを思いっきり追求したりする『自由研究』がありましたよね?
ありましたね! プロジェクトベースで、私自身も小学校の頃では一番印象に残っている学びだったと思います。
そうなんです。あんな風に「ひとつだけを追求して、あとは自由に遊べ!」っていう形でいいのにな。普段からあれだけ縛っているのに、学校にいない時間まで縛るなんて……。
池谷先生が担当している探究科の授業の内容も、国から決められた縛りみたいなものがあるんですよね?
一応ありますけど、言っていることは「新しい価値をクリエイトできる人材を育てましょう」とか「地域の課題に目を向けて、それを解決しましょう」とか、そんなのばかりで。そしてそのプロセスにおけるスキルの獲得が重要視されちゃっているんです。それが日本の探究学習だと定義づけられているんですけど、そんなのは、流行り言葉を並べているだけ。そうじゃなくて、学校がちゃんと教育の本質を取り戻せるようなシステムにしてほしいんだけど……(笑)
それはまだまだ遠そうですね(笑)
そう。ただスキルだけを身につけて、そこに『アート思考』とか『デザイン思考』を取り入れれば問題解決のアイデアが出せて、これからの時代に必要な人材になる、みたいな風に考えているようです。でも大事なのはそこじゃない。まずは自分に向き合う時間を作って、自らがやりたいことを見つける。それによって自己肯定感を育み、自分の価値に気づかせる。そこまで持っていければ、子どもたちは勝手に動くし、勝手に価値を創造するはずです。
はい。まったく同感です。
だから僕たちも別の定義づけを早くつくりたくて、そこに至るプログラムをつくるために探究科の5人の先生で頑張ってきました。ここからはさまざまな外部の人に来てもらって、コラボレーションしながらやっていきたいですね。だからエイブルトンの音楽制作のソフトは、本当に活用していきたいと思っています。
ありがとうございます。ぜひ一緒にやっていきましょう!
はい、これから楽しみですね!
アメリカには学校以外で
セルフデベロップメントを
サポートする仕組みがある。
(おわり)