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学校現場で行う“教養としての”
アントレプレナーシップの重要性
昨年の3月まで僕自身も勤めていた会社の代表である長井さんですが、改めて自己紹介と、簡単な経歴をお願いできますか?
そうですね。では改めて。私はいまタクトピアという会社の代表をやっています。起業したのは約10年前。その時は前身となる別の会社の立ち上げだったので、タクトピアは2社目になります。創業から一貫して教育に関わるベンチャー企業として活動してきました。
起業するきっかけとなる出来事ってあったんですか?
はい。僕はIBMに勤めていたんですが、リーマンショックが起こって、今の新型コロナウイルスほどではないかもしれないけど、時代の変化に組織が翻弄される様子を見ることとなりました。その時、僕はまだ若手でしたが、右往左往する先輩たちを見ながら「優秀だと思っていた人たちは、“優秀な兵隊”ではあるけれど、環境の変化に対して自ら柔軟に対応できるような人材ではない」と感じたわけです。もちろん、まだまだ若かった僕が勝手にそう思っただけで、実際はそうではなかったのかもしれないですけどね。でも事実として、そう見えた。そこで「このままではダメなのではないか」と感じ、仲間と議論をした結果「今の教育システムが、社会とギャップのあるものになっているのでは?」と思って、起業するに至りました。
それが1社目ってことですね。ではタクトピアはどういった会社ですか?
1社目の創業以来ずっと「教育に何か新しいことを」と思ってチャレンジをしてきました。そんな中、5年前にタクトピアを立ち上げます。会社として掲げたミッションは「グローカル・リーダーへの発射台」というもの。「グローカル」というのは「グローバル」と「ローカル」を合わせた言葉ですね。グローバルはもちろんのこと、ローカルも非常に大事なものです。つまりは地元ですね。そして、ここには究極のローカルとしての「自分」という意味も含まれています。つまり「自分の価値観や意見を持ち合わせるリーダーを育てていく」という社会的使命のもと、企業活動を行っている会社です。
より具体的な事業内容は、どういったものでしょう。
これまで主に中学や高校をクライアントとしてお仕事をさせていただく中で、いろいろな形態のプログラムをデザインしてきました。例えば海外研修や国内でのイングリッシュキャンプ、定期講座、最近だとオンラインプログラムなどもあります。形態は本当にさまざまですが、それ自体はさほど重要ではなくて、大事なのは「グローカル・リーダーシップ」という大目標に共感してくださる学校さんと手が組めるかどうか、ですね。
プログラムは多岐に渡るとはいえ、メインの題材として「アントレプレナーシップ」がありますよね?
その通りです。「グローカル・リーダーシップ」を実現するために、特に強力なエンジン、つまり個々の能力として必要だと思っているのが、アントレプレナーシップだと考えています。大人の世界で「アントレプレナーシップ」っていうと「起業する」という話として捉えられがちですが、もともとの意味としてはもっと幅広く捉えていい言葉なんです。すごく平たく言うと「社会の問題やニーズを察知して、それを自分が持っているチカラで解決していこう」っていう考えかた、行動のしかたですね。
長井さん自身も起業家であるわけですが、実際にプログラムを受講する生徒さんたちと共感できる部分はありますか?
もちろんあります。僕たちはすでに2万人以上の生徒さんたちに対して、アントレプレナーシップを中心とした学びを伝えてきました。その中には、受講後に何かしらの行動に移す生徒さんもいます。僕は彼ら・彼女たちより少し年上で、たまたま教育に対して強い問題意識を持ち、それを解決するための一番よい手段として会社を作ったわけですが、マインドとしては行動を起こす生徒さんたちとまったく同じです。問題意識ややりたいことを見つけて、自分なりのアクションをする生徒たちと、基本的には同じベクトルにいる。だからプログラムを卒業していく生徒たちを送り出す際にはいつも、社会がよくなるために同じ土俵で一緒に動ける仲間だと思っていますね。
最近は「アントレプレナーシップ」という言葉も、より市民権を得るようになってきたように感じます。この流れはやはりタクトピアにとっても追い風ではないですか?
そうですね。この前も某全国紙で学校現場でのアントレプレナーシップに関する特集が組まれて、4校の取り組みが紹介されていましたが、そのうちの3校はタクトピアが支援してきたプログラムでした(笑)。我々が先例をつくってきたという自負が少しだけあるし、社会全体がそれを求めているという機運も感じていますね。
アントレプレナーシップ教育の今後の展開として、何か構想はありますか?
文科省が設定した「総合的な探究の時間」も、タクトピア的な観点で語るなら、ほぼアントレプレナーシップなんですね。それには2つの根拠があって、1つ目は「問題の発見と解決」が明記されていること。つまりアイデアコンペ的な発想を大事にするのではなく、自ら問題を設定して解決にチャレンジするところに重きが置かれています。この2つには、とてつもなく大きな違いがありますからね。そして2つ目は「取り組むテーマ」と「自分の人生の選択」をリンクさせて一緒に考える必要があること。以前あった「総合的な学習の時間」の時には、まず勉強をしましょう。そして、その勉強を通してテーマを見つけましょうっていう前後関係がありました。でも今回はそうではありません。同時にリンクさせて考えるんですね。これもまさにアントレプレナーシップです。つまり「思ったなら、もうやろう!」っていうこと。う〜ん、文科省は僕たちの頭の中を見ているんじゃないかなぁ……。
え!? パクリ疑惑?(笑)
なんてことを言うと、怒られちゃうな(笑)。言いたいことは、さきほどの新聞の例はメディアからの後押しですが、同じように文科省というオーソリティ側からの後押しもあるということですね。つまり「アントレプレナーシップ」っていうと、すぐに「会社をつくる」と解釈をされがちですが、そうではなくて、誰もが学んでいいものだと証明されたわけです。「教養としてのアントレプレナーシップ」が、今後の流れとして重要になってくると思います。
プログラムを卒業する生徒たちは
社会がよくなるために同じ土俵で
動ける仲間だと思っている
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生徒全体に向け、
土台の部分をじっくりと、丁寧に。
現在の教育業界の流れの中で、どのような役割をタクトピアが担うべきだと考えていますか?
今後、「チャレンジする」「実践する」ということが、どんどん当たり前になっていきます。そういったニーズが学校や生徒、そして保護者の方々の中で顕在化したときに、気軽に、そしてすぐにアクセスして使っていただけるような学びのソースを提供できる役割を我々が果たしていきたいですね。あともうひとつ、タクトピアとして大事にしていることがあります。それは「日常の学び」と「非日常の学び」という考え方。これはそれぞれに役割が違います。日々、学校の中で学ぶことで筋力をつけていくのが「日常の学び」。これはこれで非常に大切です。
それは我々のような学校の現場で行うものですね。
はい。そしてその一方で、非日常の学び、それをタクトピアでは「圧倒的な原体験」と呼んでいるのですが、それを得ることによって、生徒たちのモチベーションを一気に高めることができます。やはりそのモチベーションがないと、日々の筋トレにも力が入りません。スポーツ選手だって「いい成績を収めたい」とか「理想的なパフォーマンスをしたい」と思ってはじめて筋トレをするわけですから。我々タクトピアはもともとそういった「モチベーションを高めるための非日常の学び」や「圧倒的な原体験を与える」ということを強みとしてきました。それを実現するための役割は引き続き担っていきたいですね。
確かに、今の僕のように学校で働いていると「非日常」っていうのは創出しにくいんですよね。その代わりに、日常の部分はこちらで担っていかなければならない。もちろん失敗もしつつですけどね。言い方を変えると、僕のような学校の教師が担う「日常の学び」は、失敗ができる余裕があるし、むしろその失敗の中で培えるものがとても大事とすら言えます。僕がそう考えることができるようになったのは、間違いなく2年間タクトピアで働いていたおかげですね。
ありがとうございます! 上手に褒めてくれるなぁ(笑)
だから、僕がタクトピアで経験したことを、うまくシステム化できればいいなと思っていて。例えばプロフェッショナル・ディベロップメント・プログラムっていうのかな? 教師の研修みたいなカタチでもいいし、教師の出向というカタチもおもしろいかなと思っていて。
そうですね。我々としても出向はぜひ受け入れたいと思っているし「学校と協業したい」という願いはずっと持っています。同じ教育系のベンチャー企業の中には、学校と協業しないところもたくさんありますが、僕たちは学校と一緒にやるからこそシナジー効果が生まれると思っていて。だからこそ学校の先生たちとお互いに理解し合い、知見を交換し合える機会をつくりたいと常に思っていますね。実際、研修に参加すると、生徒より先生が変化することも多々ありますから。
僕からも質問させてください。一緒に働いていたこともあって、すでに共感ポイントが無数にある髙木先生ですが、追手門中・高等学校(以下、追手門)における探究の取り組みについて教えてほしいんですね。そこにはタクトピアと共鳴できる部分もあるだろうし、逆に、ここは追手門の感覚で生まれた部分だっていうところもあると思います。僕たちも勉強したくて。
タクトピアを退職して学校現場に来たことで、学校だからできること、そして学校だからやらなければならないことがあると感じました。特に追手門の探究では、その部分をかなり丁寧なステップを踏みながらやっていると思います。
それは具体的にはどういったものですか?
例えば探究のプログラムをつくる上で「はじめから課題解決をやればいい」という声もあります。ただ課題解決の前提って、自分で問題意識ややりたいことを見つけてアクションを起こすことですよね? しかしほとんどの生徒たちは「課題ってなに? 自分たちに何ができるの?」という状態だし、そもそも「自分ってどういう存在? 本当はどうしたい?」といったようなことを考えないままに中学生・高校生になっています。
そうかも知れませんね。
はい。そんな中で、極端な自由を与えたとしても、生徒たちはただただ困ってしまうだけ。だから中学生や高校1年生に対しては「突き詰めればここまで自由は広がるよ」っていう“掘る作業“を一緒にやってきました。穴は深く掘るほど広げやすいんですよね。それが故に、他校の探究科の人が見たら「え、何をやっているの?」って思われるようなこともたくさんあると思いますよ。
確かに「なぜこんなにたくさん作品を作ってるの?」って思われるかも。
そうなんです。でも授業の最後に必ず行っているリフレクションの内容を見ていると、変容が起きていることがはっきりと分かります。生徒自身が、自分のことをちゃんと理解していってるんですよね。まずはそのしっかりとした土台をつくって、その上で「私はこんな問題を解決したい」とか「そもそも私は、こういうことを問題だと思っていたんだ」っていう気づきが得られれば、そこからの自走は早いので。
なるほど。
つまり学校の現場においては、生徒全体に向けてやっているという点で、タクトピアの取り組みとは大きな違いがあると思います。仮に希望者だけを募ってやるのであれば、もっといろんなことができるわけで。なぜなら「希望している」という時点で、その生徒は自分のことが割とはっきり見えている状態だから。そういう生徒たちが周りを引っ張りつつ、全体としても少しずつ気づきが増えていくような、スキャフォールディングと場作りこそが学校では必要だと思っています。特に高校1年生に対しては、そういった形でやってきました。
その「全員に対して行う」ということが、本当にすごいですよね。それを学校という教育システムの中で実践できているところは、日本中を探しても、追手門以外にはほぼないと思います。特に僕が追手門の探究科の活動を見ていて羨ましいと思うことがあって、それはいま髙木先生がおっしゃったような、豊かな土壌をつくるために時間をたっぷりかけているという点です。我々が提供するアントレプレナーシップのプログラムをいきなり始めても、やはり生徒たちが自分自身の意識に気づけない場合が多いんですよね。それがもったいないと感じることもたくさんあって。「気づくチカラ」や「自分に対する認識」がもっと進んだ状態でやれば、より広がった議論ができているだろうな、みたいに思う瞬間もあります。だからこそ、追手門のように土壌をつくる工程にじっくりと時間をかけているのは素晴らしいと思います。
やっぱり学校では「3年間」で考えることができるので。そこは贅沢なところですよね。
そうだよな〜。いいなぁ〜(笑)
でも逆にいうと、じっくりとやるだけでは爆発力を生めないという問題もあります。そこはタクトピアと協力して、補完し合えるといいなと。
確かにそうですね。ぜひやっていきましょう!
豊かな土壌をつくる工程に
じっくりと時間をかけている点が
追手門探究科の羨ましいところ
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「探究」と「受験・偏差値」は、
本当に相反するものなのか
探究という教科は、授業でやっていることやその中で養えるものと、受験や将来との結びつきが理解されにくいという問題があります。
そうかもしれないですね。ただ僕は学校の先生じゃないから気楽に言えてしまう部分もあるとは思いますが、今後、世の中がどのように変わっていくかという大きな流れを見た時に、探究によって養えるチカラがないままに社会に放り出されたときの恐ろしさは想像を絶するものです。だから僕は間違いなく、受験勉強だけでなく、探究にも力を入れるべきだと思っている。例えば最近報告されたデータによると、2030年の20代、つまり今の高校生ですね。彼ら・彼女たちの8割は、マルチジョブ型(=単一のフルタイム職ではなく、複数の仕事をもって働くこと)になっていると推測されています。それに大手企業を中心に、1週間の働く日数を減らすケースも増えていますよね。つまり、かつてのように「一度会社に入ったからもう人生は安心だ」と言える時代ではなくなります。
その動きは確実と言えるでしょうね。
そうなった時に、自分は何ができて、どういうところで自分の価値が発揮できるのか、そして自分は何をすれば幸せを感じられるのか。それらを把握して、自分で選べるチカラを持たないと、世の中に翻弄されるだけで終わってしまいます。そういう世の中は、本当にすぐそこにありますからね。そういう時代が来ることが想像できず、危機感を持てないのは、はっきり言ってちょっとヤバい。にも関わらず、相変わらず受験とか定期テストの方が心配な人も多いみたいで。それは非難しても仕方ないですけど……。でもやはり、少し先を見て考えれば、探究で養えるチカラも必要だと感じるはずですよ。日本地図を見ただけで「この川の名前は、最上川です!」「すごい急流なんです!」って諳んじられることに、それほど大きな意味があるのかってことですよね(笑)
そうなんです。僕はタクトピアの2年間を経て、今年、学校現場に戻ってきたのですが、今の長井さんのお話にあったような問題が、ここまで根深いんだっていう驚きはありました。それを取り除いていく作業を、ここまで丁寧にしていかないといけないのかっていう……。
つまり、偏差値とかテストの点数とか、そういうしがらみですよね。
はい。考え方を変えていくしかないんですけど、システムとして出来上がりすぎて、そのパラダイムシフトは一朝一夕ではなかなかできないですね。とはいえ、僕自身は個々の生徒が少しずつ変わっていく様子を見ることができているので、実はそれほど気にはなっていません。たとえ国としてのシステムが簡単には変わらなくても、生徒自身が変わっていけば、現行の制度の中でも彼ら・彼女たちは羽ばたいていけると思っています。
まさしくその通りですね。
ちなみに僕は学生時代、テストの前の日って必ず寝てたんです。
それは「意図せず寝てしまう」なのか「寝ることにしていた」なのか、どっち?
完全に後者です。意識的に寝るようにしていました。なぜ一夜漬けがあんなに信奉されているのかが僕には分かりません。まったく信じていなかったですね。だってテストって、自分の普段の勉強を、文字通り“テスト”する場ですよね? 僕としてはそれが点数化されることに楽しさがあったんです。だから一夜漬けはしたくなくて。逆に勉強の成果をきちんと出せるコンディションをつくるために、寝不足にならないことがもっとも重要でした。
アスリートだな……(笑)。僕はそこまで思いきれなかった……。
つまり少し話はずれてしまいますが、日本ってそもそもテストに対する考え方がおかしいんですよね。テスト前になったら部活は停止する。それってつまり、その期間に勉強をすれば、テストに間に合うということでもあります。そうなると当然ながら生徒たちは授業の時間を無駄に使ってしまう。そんなシステムがまかり通っていて、おそらく多くの人が疑問には思っているんだろうけど、誰も変えようとしない。もはやシステム自体が誰も管理できない暴走機関車みたいになってしまって。
うんうん。確かに。
もちろんこのシステム自体を変えることは難しいので、テスト前の部活停止はもう仕方ないとして、じゃあその日は部活をせずに早く帰った分、家で皿洗いをしましょうとか。そういう時間の使い方をしたらいいのになって僕は思います。そういう風に個々のメンタリティが変わってさえいけば、別にテストだって悪い制度ではないんですけどね。
つまり、システムがあることはもう仕方ないし、それに巻き込まれることも仕方ない。だけどそれをハックするというか「俺はそれをこう使う」みたいな、システムの外側に出て操作できるようにしたいってことですよね。それってまさしく探究するチカラだと思います。
そうなんです。そういう風に考え方を変えることができるようになれば、むしろ学力も伸びるはず。
うん。なにごとも仕組みに巻き込まれるより、それを俯瞰して利用する。可能であれば、その仕組み自体もちょこっと変える側にいった方が面白いから。すでにあるゲームで遊ぶより、新しいゲームを作る方が圧倒的に面白いわけで。
そう思います。
僕も少し話がずれますが、面白い思い出話があります。高校3年間お世話になった世界史の先生が古代史マニアで、古い時代が好きな人だったんです。だから授業では、いつまで経っても古代をやっていて(笑)。その結果、高3の12月になっても、けっきょく授業では中世までしかいかなかったんです。「先生! 1ヶ月後にセンター試験があるのに、近現代史までたどり着いてないですよ!!」みたいな(笑)。
え……。それって大丈夫だったんですか?
まあ補講をしてくれたので大きな問題はなかったんですけどね。ここで僕が言いたいのは、テスト範囲を着々と終わらせることも当然大事だけど、それよりも僕たちは「世界史はとても面白い」ということをその先生からすごく学んだということ。そこが大切なんですね。そういう風に、先生自身がその教科やテーマのことをすごく好きで、学ぶ楽しさを伝えてくれる。そしていざとなれば、自分で進んで勉強ができる状態まで持っていってくれる。それが理想です。だから探究でやっていることと受験対策は相反するわけではなくて、髙木先生が言ったように、探究するチカラがあれば受験にも効果を発揮すると思います。
たとえ国のシステムが変わらなくても
生徒自身が変われば、現行の制度の中で
彼ら・彼女たちは羽ばたいていける
※後編はコチラ。