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チャイムもなければテストもない。
すべての枠を取っ払って辿り着いたカタチ。
僕はいま追手門学院中・高等学校(以下:追手門)で「探究科」を専門に教えていますが、その「探究」という言葉自体、ルーツを探ると炭谷さんたちに源流があることがわかりました。
僕が前職のコンサルティング会社を辞めて教育に携わることになったのは、もう25年近くも前のことですが、当時、いろいろな人が教育に対して本当に多種多様なことを言っている状況がありました。特に一般の学校ではなくてフリースクールに関わる人たちはそれぞれにこだわりが強いし、さまざまな考え方や言葉が飛び交って、もう訳が分からない状態。そこである程度は共有できるキーワードが必要だと感じ、親しい人たちとディスカッションをしていったんです。
その中で生まれたのが「探究する力」ですね。
そうなんです。だから僕ひとりが考えたわけではないんですけどね。特に文科省がそれを打ち出したあたりから、すごく流行り始めました。ただ海外では教育において「探究」という概念を掲げるのは、当時から特に珍しいことではなくて。僕が前職でデンマークにいた時、つまり30年ほど前から「inquiry-based learning」など「inquiry-based 〇〇〇〇」という言葉がありました。つまり探究をベースとした考え方ですね。
はい。国際バカロレアでも「Inquirers(探究する人)」は理想の学習者像の一つとして打ち出されています。
そうそう。だから日本で知られていないだけ。やっぱり日本は「探究」より「偏差値」の方に寄りすぎているからね。でもこれからは絶対に探究型の教育で子どもたちを育てていかざるを得なくなりますよ。なぜなら偏差値的な教育で養えるスキルってAIが担うようになって、人間がやる必要はなくなっていきますから。
同感です。僕もそこに気づく人を少しでも増やしたいと思って、日々取り組んでいます。今日、この六甲山の学舎にきて、子どもたちの力強さにとにかく圧倒されて……。これまで僕もインターネット上の記事や炭谷さんの講演などからラーンネット・グローバルスクール(以下:ラーンネット)で実践されている探究型の学びについて、ある程度は理解はしていたつもりでしたが、やっぱり実際に来てみると違いますね。
子どもたちを見ると、一発でしょ?(笑)。動き方が全然違うから。他の学校の先生たちも頻繁に見学に来ますが、皆さん本当に驚かれます。「先生は何の指示も出していないのに、なぜ生徒たちが勝手に動いているの?」って。実際にその様子を見てもらったので分かると思いますが、全員が「自分はこれを学びたい!」と思って主体的に取り組んでいるので、みんな一生懸命だし、誰一人としてダラダラしていません。イヤイヤやっている生徒は一人もいないんですね。ま、授業によっては、ちょっとうるさかったりしますけど(笑)
確かにここにはチャイムがないし、教科書もない。にも関わらず、全員が集中して学んでいます。それはちょっと驚きですね。
その通りです。僕がここを立ち上げる時に、まずは既存の学校にある要素のすべてを疑うことから始めました。教科書、校舎、時間割、机の並び方、「先生」という呼び方……全部をいったん“チャラ”にしたんですね。そして子どもたちにとって本当に集中して探究ができる環境とはどういうものなのかを、それまでの枠をすべて取っ払って考えた結果、それは教科書がなくてもできるし、教室で机を真っ直ぐに並べなくてもできると思ったわけです。
さらに驚いたのが、テストがないんですよね?
はい。そこがもっとも衝撃的だと言われるところです。旧来から見られるプリントによるテストはしないし、点数によって成績をつけるということも一切しません。そこが一条校と比べた時に、もっとも象徴的で、かつプラスに働く違いかな。
テストをしないということは、生徒たち自身が「じゃあ自分たちは、何のために学んでいるのか」を考えるようになりますね。
そうなんです。その結果「社会とどう関わっていくか」「そのためには、どういったことが役立つのか」といった考えが子どもたちの中に自然に芽生えてきます。そうすると、自分が探究したいと思えること、つまりは自分が好きなことを学ぼうと思いますよね。
だからどの子もあれだけ真剣なんですね。
そんな教育環境において、先生はどういった方々なんでしょうか。みなさん教員免許は持っているんですか?
ん〜、2、3人は持っていたんじゃないかな? そこは重要視していないからはっきりとは分からない(笑)。でも一条校で先生として働いたことがある人はいないはずで、教師ではない別の仕事をしていた人ばかりですね。ただ教育に興味を持っている大人って潜在的には多いはずなんですよ。しかしながらいろいろな障壁があって、そういう人たちも実際の教育現場には入って来れない。その障壁というのは先ほど出てきた教員免許の問題とか、いろいろですね。その結果、学校と社会がどんどんと関係のないものになっているのが今の日本の現状です。
海外だとまた状況が違うんですか?
そうですね。僕が住んでいたデンマークでは、社会人経験のある人が学校の先生をやっているし、逆に学校の先生が学校以外の場所で働くのも当たり前のことでした。日本が異常なんですよね。学校は学校で、受験に向けた勉強をやっている特別な場所、みたいな。それは本来おかしくて、もっと人が交流すべきじゃないかな。そもそもこれだけものすごい勢いで世の中が変わっているのに、学校だけは僕が50年前に行っていた時とあまり変わってないでしょ? それはおかしいと思います。
はい。もう150年近く同じことをやっていると言われている世界ですからね。
そうですよね。そこで我々が運営している「Q」というメディアでは、教育に興味を持つ人たちが潜在化してしまっている状況を変えるべく、それを顕在化させることを一つの目標としています。学校を特殊な世界としないためにも「実社会での経験が子どもの教育に役立つ」というメッセージを、そのメディアを通して伝えていきたいですね。
これだけ世の中が変わっているのに
学校だけ50年前からあまり
変わっていないのはおかしい
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デンマークの幼稚園で出会った
理想的な学びの環境。
ラーンネットを立ち上げるに至ったきっかけはあるんですか?
やはりデンマークでの経験ですね。僕は前職の関係で2年間をそこで過ごしたのですが、その時に感じたことがとても大きかった。きっかけの前に少しだけあの国のことを話すと、国民全体が「自分でやりたいから動いている」という人ばかりなんです。子どもからおじいちゃん・おばあちゃんまで、みんながそう。「誰かに言われて、イヤイヤやる」みたいなことがありません。
いわゆる『第3の教育』がベースになっていると言えますね。
そうです。だから競争もないし、序列みたいなものもない。分かりやすい例でいうと、日本では初対面の人に対して「何才ですか?」とか「どこにお勤めですか?」みたいなことを話すでしょ? デンマークでは、そういう会話がありません。そうではなくて「何が好きなの?」「何をしたいの?」っていう会話だけ。肩書きとか組織のことではなくて、本人のことを聞くんです。
序列がないということは、学歴みたいな概念もないんですか?
その通り。一度、怒られたことがありました。デンマークには大きな大学が4つあったので、僕は日本の感覚で「その4つの大学で、どこが一番いいの?」って質問したんです。すると「そんな無意味な質問、答えられない」って言われて。なぜなら大学の特徴がそれぞれに違うから、例えば経済を学びたいならA大学だし、デザインを学びたいならB大学、エンジニアリングならC大学……って特徴があって、それぞれに得意な先生がいるんだからって。
なるほど。
つまり、みんな「何をやりたいか」という観点で大学を選んでいるんですよね。それが故に、どこが上とか下とか、そんなものは無意味すぎて意味が分からないって。僕はガーン! ってショックを受けましたよ(笑)。やっぱり気づかないうちに「偏差値」っていうものに洗脳されていたんですよね。向こうの人たちには、そういう考え方がまったくない。
確かに日本では考えられないですね。
うん。だから僕は「競争とか序列を好まないってことは、もしかしてこの人たちは“やる気”みたいなものがないんじゃないかな?」って思ったんですよね。やっぱり受験でもビジネスでも「一つでも上に!」とか「業界でのシェアを高めたい!」とか、そういうのがエンジンとなって頑張っているのが日本人だから。でもそれはやっぱり日本的な洗脳でしかなくて。
ではみんなやる気がないわけではないということですね。
そうなんです。一人ひとりが自分のやりたいことをしっかり持っていて、それを実現するために頑張っている。その姿が、めちゃめちゃ力強かったんです。競争しているわけでもないし「この数字に向かって走れ!」みたいに他人に強要されているわけでもない。もっと内発的なモチベーションで動いているから、すごく強いんですよね。そんな人々の中で2年間に渡って仕事をする中で、そのことがだんだん分かってきて、彼らの生き方や考え方にどんどんと惹かれていきました。
じゃあそういう人たちを育てたいという思いからラーンネットを立ち上げたんですか?
そうなんだけど、実はもっと直接的な理由もあります。それは現地で娘が通っていた幼稚園での経験ですね。デンマークの幼稚園には「一人ひとりを尊重する」という考え方がベースにしっかりとあります。だから例えば絵を描くにしても「今日はみんなで〇〇〇〇の絵を描きましょう!」なんてことは絶対に言わない。何の絵を描くかは、生徒たちが自分で選択するんですね。教材だってそうです。色々なものが置いてある中で、A君はこの教材、Bちゃんはこの教材……って自分で選んでいくわけです。そうやって一人ひとりが好きなことをやっていくんですね。
モンテッソーリですね。
そうそう。で、実は僕自身、小さな頃はいわゆる消極的な子どもで、人前ではいっさい話せなかったんです。そんな僕に対して、先生たちは「もっと友達と喋りなさい!」みたいなことを言ってくるから、余計にガッチガチになっちゃう。あと数学とか物理にはすごく興味があったけれど、その代わりには絵を描くのがものすごく苦手で。にもかかわらず「みんなと一緒にこの絵を描きましょう!」なんて言われて、またガチガチになる。だってやれって言われても、できないことはできないから(笑)。小学校5年生くらいまで、そんな感じで育ちました。
講演を中心に、人前で話をするお仕事をしている今の姿からは想像しにくいですね。
そうでしょ? 小学校5年生の時の担任がとてもいい先生で、そこからやっと積極性が出たんじゃないかな。だから幼稚園時代を含めて6年近くはそういう状態だったわけです。そして僕の娘も僕と非常に似ていて、幼稚園に通い始めた頃はまったく同じ状態。とにかく誰とも喋れない。でもそんな娘に対して、デンマークの幼稚園の先生は「この子はとても観察力がある。素晴らしい」とすごく褒めてくれました。「何もせずにずっと人のことを見ている。それによって人からたくさんのことを吸収している。だから何の心配もない」って言われたんです。僕にはそれが衝撃的で。それに加えて「まだ自分から何かをする子ではないけれど、もし何かをし始めた時は、それを妨げたり、急がせたりしないで」とも言われました。だから2歳くらいの時かな? ボタンを留めるだけでも30分近くかかる時。それを見ていると、普通は手伝ったり「早くしなさい!」って言ったりしちゃうでしょ? でも言われたとおりにグッと我慢して見守ったんですね。
その結果、娘さんに変化はあったんですか?
幼稚園に通い出して半年たった頃にはね、クラスの全員に「グッモーニン! グッモーニン!!」って(笑)。本当に驚きでしたよ。3歳になる頃には、親の承諾も得ずに「今日、うちに遊びにきなよ!」なんてアポをとる毎日で(笑)
すごい(笑)
本当に驚きでしたね。僕は6年近く消極的なままだったのに、たった半年ですから。その時に僕は、その幼稚園の先生たちの姿勢にとても感銘を受けたんですね。要は家のように安心できる環境をつくり出し、一人ひとりの特徴のいいところをしっかりと見て、子どもたちを絶対に認めてあげる。だからこそ子どもたちはずっと自分らしくいられます。僕が日本で経験したように、学びたくもないことを勉強させられることもないし、イヤイヤ受けたテストでペケをつけられることもない。もちろん怒られてガッチガチになることもありません。そういう場所を作りたいと思ったのが、ラーンネットの立ち上げにつながる大きなきっかけですね。
家のように安心できる環境で
一人ひとりのいいところを見て
子どもたちを絶対に認めてあげる
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探究サイクルで育む自己肯定感。
その後は、どこでも自分で切り開いていける。
ではラーンネットの教育方針の根幹となるのは、どういったものですか?
「好奇心爆発、探究サイクル」と呼んでいる構図があります。それは3つの要素がサイクルになっているもので、まずは「子どもが自分で選ぶ」ということ。先生が指示を出すのではなく、何を、どう学ぶかを子どもたちに選ばせます。ただこれは「完全に好き勝手やっていい」という意味ではありません。そうではなくて、例えば漢字の練習をする際に「こっちのプリントかこっちのプリント、どっちでやりたい?」といったような選ばせ方でいいんです。だからラーンネットでは、どのクラスのどの授業においても、多少なり選択の余地がありますね。それがあれば自分でやりたいことを選ぶので集中します。それが2番目。
「自分で選ぶ」の次が、「集中」ですね。
そうです。先ほど授業を見てもらったので分かると思いますが、本当に全員が集中していたと思います。これが一般の一条校だとなかなかそうはいかない。例えば先ほども言った通り、僕は小さな頃からアインシュタインに憧れていて、物理を勉強したかった。でもそんなものは小学校の授業にはないし、やろうとすれば怒られる。自分のやりたいことと学校の授業で学ぶことがまったく関係ない状態ですね。それだと集中できなくて当然です。
そうですね。でもそれが一般的になってしまって……。
やっぱり一番の原因はテストだと思いますよ。自分がやりたいことや学びたいことと、授業の内容が完全に切り離されていて、それでもまだテストができている生徒はいいけれど、そうではない子は、ペケをつけられて、怒られて、さらに「何であの子はできるのに、君はできないの?」なんて人と比較されて……。そんな環境では、仮にその教科に興味があったとしても、テストで間違うのが怖いからやる気を失ってしまう場合も多々あるんですね。それってすごくもったいないことだから。そこで僕は、そういったやる気をなくす原因となるものはできるだけ排除して、自然と集中できる状態をつくるために、いろいろと工夫してきました。その結果、ここの生徒たちは算数や漢字も意外と嫌がらないし、歴史とか理科といった基礎学習に対しても非常に興味を持って臨んでいますよ。
なるほど。どんな科目に対しても、もともと子どもたちは好奇心や興味を持っているんですね。それを学校というシステムが消しちゃっているのか……。
その通りだと思います。そして集中の次は「達成感」です。これもすごく大事。集中して取り組むから、アウトプットもきちんと出てくる。それに対して子どもたちは「やった!」「こんなのが出来た!」って喜びますよね。さらに大人たちに「見て!」と持ってきます。そこで「これ、すごいね!」「ここはどうやって作ったの?」と大人たちが聞いてくれるのがとても嬉しいわけです。「次はもっとすごいのをやろう!」とさらにモチベーションがわいてくる。このサイクルに入れば、すごいですよ。放っておいても、ブワー! って進んでいきますから。
自分で選んで、集中して、達成感を得る。それが探究サイクルか。
そうです。僕がここでやっているのは、それだけなんです。中身は何でもいい。そのサイクルに入れてあげて、達成感を得てもらうためだけに25年間やってきたようなものです。そうすれば子どもたちが自走できるようになるので、こっちは何も言わなくても良くなります。その後はどこの中学に行こうと、社会に出ようと、自分で切り開いていけるようになるから、すごく強いんですね。
なるほど。サイクルに入って達成感を得たことで、自己肯定感が高まっているってことですよね。
そう。おっしゃる通り。自己肯定感が非常に大切ですね。
僕がいま学校で生徒たちを見ていて感じるのは、彼ら・彼女たちの自己肯定感の低さです。やはり公立高校に受験で落ちて私立に来ている子もいるのである程度は仕方ない部分もありますけどね。でもここで実践されている探究サイクルが回って、強い自己肯定感が育まれたら、中学、高校とどこへ行っても大丈夫な気がします。ちなみにラーンネットを卒業した生徒たちは、どのようにその後を過ごしていますか?
中学に行った子どもたちが揃って口にするのは「楽だ」っていうこと。ラーンネットではすべて自分たちでやっていたのに、中学では全部先生がやってくれるから。イスに座っていれば勉強も教えてくれるし、ご飯だって黙っていれば出てくる。だから最初は「とても楽だ」と感じるようですね。これは本当に全員が言っています。
それは確かに感じるでしょうね。その後はどうなりますか?
「楽だ」の次も決まっていて、みんなが「退屈だ」と言い始めるんです。ラーンネットと違って、授業も座っているだけだから。その結果、ほとんどの卒業生が何かを始め、自分なりにリーダーシップが取れる場所を見つけて、そこで存在感を発揮しているようです。やはり「自分から主体的に動く」ということに慣れているから、周りの人より先に動くんですね。すると必然的にリーダーになっていく。
具体的にはどういったアクションを取っているんですか?
それもさまざまですよ。自分でクラブをつくったり、生徒会長をやったり。演劇を始めた子もいました。とある卒業生は「ラーンネットではずっとアクセルを踏んでいたけれど、中学ではブレーキを踏まないといけない」というような言葉を残しています。それってすごく象徴的ですよね。その子は中学はインターナショナルスクールに行って、高校は海外に留学したんですが、中学では周りの子はずっとブレーキを踏んでいるように感じたようです。彼はラーンネットでアクセルの踏み方は分かっているし、中学でブレーキの踏み方も学んで、今はそれを使い分けているみたいで。他の卒業生も同じようなことを言いますね。
なるほど。ただラーンネットを卒業して一般の中学に通うとなると、あまりの環境の違いに、保護者の方は心配されないですか?
うん。確かにみなさん、心配されていますね。やはり「普通の学校に馴染めるかな?」とか「周りに叩かれるんじゃないかな?」とか感じるようで。でもね、ぜんぜん大丈夫なんです。もうここで確固たる自己肯定感が養われているから、万が一少々叩かれたとしても、自分なりに行動ができる。結果的にはいわゆる有名大学へ進学する子も多くて。もちろん我々はそれを目的にしているわけでは一切ないんですけど、その進学実績を見せれば保護者の方もすぐに納得してくれますね。
自己肯定感が養われているから、
万が一少々叩かれたとしても、
自分なりに行動ができる
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