ラーンネット・グローバルスクール代表 炭谷俊樹

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INTERVIEW

2021.03.11UP

子どもたちに主体的な学びを。時代に最適化された教育を追い求めて。(後編)

PROFILE

炭谷俊樹

ラーンネット・グローバルスクール代表

ラーンネット・グローバルスクール代表、神戸情報大学院大学学長
1960年神戸生まれ。アインシュタインに憧れ、物理学者の道を目指すも挫折。経営コンサルティング会社マッキンゼーにて10年間日本企業及び北欧企業のコンサルティングに携わる。新人コンサルタント 採用・研修の責任者も担当。 デンマークの社会や教育、とくに娘が通った幼稚園に感銘したことがきっかけとなり、阪神淡路大震災後の1996年、子どもの個性を活かす「ラーンネット・グローバルスクール」を神戸で創設、25年となり、卒業生も活躍している。2010年からは神戸情報大学院大学学長として社会人が社会問題を技術で解決する探究型教育も実践。2019年には「探究メディアQ」を立ち上げ、子どもの探究心を爆発させるための活動に力を入れている。
著書 『第3の教育』、『ゼロから始める社会起業』、『実践 課題解決の新技術』

INTERVIEWER

池谷陽平

探究科 Driver

Theme1

放っておいてもやるかどうか。
探究学習の実践者を増やすために。

(前編はこちら

先ほど「進学実績を見せれば」というお話が出ましたが、保護者の方々の理解を得るには、そこが大事ですか?

間違いなく大事です。やはりどれだけ理論で説明しても、それを提示しない限りはなかなか難しいというのが正直なところですね。もちろん僕たちは探究型の学びの大切さや、それによってもたらされるものを一生懸命に伝えます。しかしそれだけでは保護者の方は納得してくれません。やはり自分の子どもは1〜2人しかいないし、その1〜2人の子どもがどのように成長するかということにしか興味がないのがお父さん・お母さんの考え方で、それは当たり前のことですから。

全体ではなく、自分の子どもだけ……

はい。基本的にはみなさん、そうでしょう。だから例えば「中学や高校に行って、みんながリーダーシップをとっている」なんて話をしても「ふ〜ん」っていうだけで終わります。でも「毎年、阪大合格者が出ているし、関関同立も当たり前のように……」みたいな話をすれば、すぐに納得してくれる。それが現実です。繰り返しますが、我々はそういった大学に入学させることを目的にしたことは一切ないんですけどね。

やっぱりそうですよね。特に関西では東京と比べて新しい形のものが受け入れられにくい現状があって、僕たちも苦戦しています。

よく分かります。ラーンネットも立ち上げてからしばらくは、集客面ですごく苦労しましたから。やはり教育経験のまったくないビジネスマンがつくった新しいフリースクールなんて、来てくれなくて当然ですよね(笑)。でもさっきも言った通り、卒業生がいい大学に入り始めてからは、だいぶ楽になりました。ここで重要なことは、探究する力の強い子どもは、自己肯定感も高いし、自分で工夫して学習するので「受験をしたい」と感じた時にはきちんとやるっていうことです。彼ら・彼女たちは一度火がつくと本当にすごい。だから成績もグッと上がります。学び方を知っていますからね。

そう思います。しかし今の学校の授業は、覚えて、テストを受けて、忘れるっていうことを繰り返しているだけのものが一般的になってしまっていて……。本来の教育って、もっと人の「生活」や「学び自体」、つまり「共感」や「思考」「行動」といった部分に紐づいているべきだと思います。でも今の教育現場ではそれは排除されがちで。その結果、炭谷さんが言っていたように、自分の好きなことや、身の回りで起こっていることと学校で勉強していることがどうしても結びつかないんですよね。

そこで大切なのはやはり「インプット」だと思いますよ。「行動」の主な目的は「インプット」です。例えば人に話しかけてみたり、何かをじっくりと観察してみたりすることで、色々な情報が入ってきます。するとそれらから刺激を受けて、今度は自分で考えたくなる。そういった工程を飛ばして「考えろ」と言われても、自分の中にあるものしかネタがないから難しくて当然です。だからそういうネタを増やしてあげるための行動が重要ですね。例えば映画を観たり、普段は話さない人としゃべったり、そういったもので構わない。生徒たちもそういうのを求めているんじゃないかな。

そうですね。いつもと違う視点で街を歩くだけで、得られることや感じることはまったく変わってくると思います。とはいえ「学校の時間は校舎の外に出たらいけない」みたいな決まりもあるので、難しい部分もありますけど。

う〜ん、でも小学生とかだと、先生が引率しないと危ないかもしれないけど、高校生だったら大丈夫じゃない? たとえば5人くらいのグループでフィールドワークをするとか。

はい。そうやって普段は接することのない人と関われるような機会も、はじめは学校側が作っていきたいですね。

保護者の理解や評価、また集客・広報面の難しさは実体験として分かると炭谷氏は語ります。

生徒たちの“インプット”のための機会をはじめは学校側が用意したいと話す池谷先生。

ペーパーテストを行わないラーンネットにおいて、炭谷さん自身は教育の効果をどのように測っていますか?

僕が教育の現場で大切に考えている指標があります。それは先生や大人たちが放っておいた時にやっているかどうかということ。というのも、やはり「やれ」と言われれば、そのことが好きでなくても、みんなそれなりにやるんです。でもそうではなくて、例えば家での自由な時間や休み時間にやっていることこそが、子どもたちが本当に好きなことですよね。当たり前ですが家でやらないことや休み時間にやらないことは、そんなに好きじゃない。先ほど見学してもらった授業で、タブレットを使ってずっと音楽を作っている子がいましたよね?

はい。授業で行うプレゼンテーションのBGMに使うために、オリジナルの曲をつくっていると言っていました。ものすごい没頭していたし、出来上がりもプロがつくったみたいなクオリティで本当に驚いたんです。

そうでしょ? あの子は家でも曲をつくっていて、それと同じことを授業でもやっているわけです。そうなると自分が一番好きなことだから、放っておいてもやりますよね。

確かに追手門でも、プロジェクト型の授業を2時間連続でやっていると、間にある休み時間も忘れて集中している生徒も出てきました。家に持って帰ってやる生徒も増えています。中にはその授業での取り組みを自分の人生のプロジェクトにしようと意気込む生徒もいる。ただクラス全体をそういう方向に導くのは、学校としてそれを許容する態度も必要になりますし、なかなか道のりは長いですね。

もちろんこことは違って、一条校では全員が探究型を目指すのは難しいと思います。だから何百人いる生徒の中から、まずは数人だけでもその価値を感じて、ウキウキしながら楽しんでいたら、それで成功だと思っていいんじゃないかな? それがさらに少しずつ増えて、何割かになっていったらすごい。そうやって僕は“探究派”を増やしたいんです。今は99%が偏差値を重んじているでしょ? 僕と池谷先生は1%にいる仲間ですよ(笑)

ありがとうございます(笑)

日本の学校全体がもっと探究型になっていってほしいと願っていますからね。だから追手門の探究科の活動もすごく応援したくて。

そうですね。僕たちも現状では週に2時間しかないし、学習指導要領を見ると、それ以上の時間を確保するのも難しそうです。でも逆に言うと、毎学年に2時間を割いている学校はなかなかない。ここからどういった形で探究的な学びを広げていくか、ですね。ラーンネットで育った子どもたちに「中学、高校は退屈だ」なんて言われるのは悔しいので(笑)

一緒に頑張っていきましょう。でもどんなことだって“ゼロイチ”ではないですから。例えば 「学校は面白くないけど、探究の授業は少し面白い」とか。「探究も面白くないけど、このテーマだけは面白い」とかね。そうやってちょっとずつでいいから増やしていければいいですね。

ここでは生徒たちが授業/休み時間という区切りを忘れて没頭する姿が印象的です。

2019年に開校したラーンネット・エッジ(小5以上を対象とした、“10代の探究者のためのマイクロスクール”。以下:エッジ)に関しても、少しだけ聞かせてください。あの授業内容は僕にとって本当に衝撃的で。感動して鳥肌が立ちました(笑)。具体的には「教養」の中にある科目が「自由への教養」「Connect」「Forum」「アート」「音と身体性」「英語」「文学」「算数・数学」という分け方です。

ありがとうございます。あのカリキュラムは、10代の子どもたちが“学校”に来て取り組む意味のあることについてゼロベースで考え直すことでできたものなんですね。その中には例えば『マジ探究』と言って、自分が取り組みたいテーマを探究する時間が毎日90分ずつあります。これはカリキュラムにおける中心的な存在ではありますが、とはいえ10代のうちからあまり特定の領域にだけ専門性が絞り込まれてしまうと「教養のない探究者」となり、不自由な人生を送ることになってしまうリスクがあります。そこで子どもたちに顔を上げてもらったり、首を振ってもらったりするようなきっかけとして用意したプログラムが『リベラルアーツ(教養)』です。

リベラルアーツ……。そこはすごく興味深いところです。

はい。つまり子どもたちが、例えばサッカーをするにしても、音楽をするにしても、とにかく何をするにしても必要となる基礎的な教養とは何かということを徹底して考えた結果として出てきた、アートや数学、文学、コミュニケーション能力、チームワーク……といったものをエッジのカリキュラムに取り入れました。それを一言でいうと、リベラルアーツになります。

その中に「Forum」があるのが、この年代ならではだなと思って。

そうですね。この科目は「ありのままの自分とつながり、それを受け入れる。また他者のそれも同様に受け入れ合う」ことを目的とした時間です。とても難しいことではあるんだけれど、それでも10代にこそ必要だと考え、一歩一歩近づいていくためにもカリキュラムの一つとして入れています。

追手門の中学でも、人間関係は大切にしています。エッジのカリキュラムにこの言葉を見たときに、確信を得ました。

子どもたちは人間関係を構築することによって、お互いのいいところを引き出し合います。それはどれだけ高い専門性を持っていたとしても、一人ではできないこと。そういう意味でも、自分だけだとどこかで限界がきてしまいますからね。

そうですよね。とにかくあのカリキュラムは、本当に面白いし、めちゃめちゃ共感できました。

ありがとうございます。機会があれば、ぜひエッジにも取材にいってみてください。

探究する力の強い子どもは
自分で工夫して学習するので
成績もグッと上がる。

Theme2

学ぶ責任は、一体どこにある?
変わる必要があるのは生徒だけではない。

炭谷さんは「第3の教育」という考え方を打ち出されていますね。確かに学校の現場において、放任するのが良いか、はたまた管理するのが良いか、考えが分かれるところです。

確かに一条校の先生たちと話をしているとその議論になりがちです。管理しても上手くいかないから放任する。すると言うことを聞かなくなって、また管理する。結局どっちがいいの? みたいな話はすごく多いですね。でも僕はその二元論自体に無理があると思っていて。どちらでもないから「第3」なんです。

「第1と第2の間」ではなく、まったく別のものという認識なんですね。

その通りです。というのも、第1も第2も、前提として「先生がどうするか」という原理にもとづいて議論をしてしまっている。そこが根本的に僕がデンマークで見たものとは違います。第3はそうではありません。子どもが責任者です。学ぶ責任は先生にあるのではなくて、子どもにあるというところをベースにしなければいけない。その前提で、ラーンネットでは「先生」という呼び方もしていません。

「ナビゲーター」と呼ばれる役割ですね。

そうですね。「子どもたちの主体的な学びをお手伝いする立場」と再定義して、そう呼ぶことにしました。よく一条校の先生たちは「なぜチャイムがないのに、子どもたちがちゃんと集まってくるの?」と聞いてきますが、そもそも「先生が子どもたちを動かさないといけない」と思っているからそういう疑問が生まれるんですよね。授業の時間になったら、教室に入れないといけない。そのために先生が生徒たちに声をかけないといけない。そう思っている人が多くて。それが第1の教育の考え方です。でもここはそうじゃない。「時間割と時計を見て、自分で来てね」というのが基本の考え方ですから。ナビゲーターはそのお手伝いをするだけ。たとえば1年生でまだ時計が見れない子がいたり、時間割の見方が分からない子がいたりすれば、そのサポートをするだけですね。

なるほど。責任は子どもたちにある……。

そうです。そこをしっかりと理解するのがなかなか難しいみたいですね。普通の学校で先生をやっている方は、皆さん「先生である自分がなんとかしないと!」って思っちゃうみたいで。

子どもたちによる主体的な学びを提唱・実践する岸谷氏。
“探究の大先輩”との深い議論を経て、表情も晴れやか!

ここで働いているナビゲーターの方も、もともとそういった素養のある方なんですか?

そうだと思います。「すべて上司の言う通りに動く」といった働き方をしていた人だと、ここでナビゲーターをやるのは難しいでしょうね。僕の場合、上司は大前研一さんだったんですけど、とにかく自分の意見を言わなければすごく怒られました。それこそ新聞に書いてあるのと同じようなことをいうと「俺はお前の考えが聞きたいんだ、バカヤロー!」って(笑)

あの有名な大前さんが!(笑)

そうなんです。だからナビゲーターたちも、自分で判断して行動することができた方がいいのは間違いないですね。

子どもたちの主体的な学びをサポートする。それがナビゲーターの役割。

生徒と対話するように授業は進んでいきます。

確かに生徒はもちろんながら、先生も変化していかないといけないと思います。ただ教員養成って、本当に難しいんですよね。現場で授業をやりながらトレーニングをする時間もないですし。

そうでしょうね。僕はアメリカで行われた教育者向けの研究会に出たことがありますが、向こうでは先生自らが研究をして発表する機会が多いようです。もちろんすべての先生がそうではないんでしょうけど、みんな自分のキャリアとして頑張っています。その辺の雰囲気は日本とは違うように感じましたね。当然ながら日本にも熱心な先生はいると思いますが、やはり規模が違います。その研究会も、何千人っていうレベルで参加していましたから。

そうですね。自分から学校の外に出て勉強をしようとする先生は、多くはないように感じます。それって時間もかかれば、お金もかかりますし。

日本の学校の先生は忙しいですからね。ある程度は仕方ないのかな。

ただ学校の外に出てみないと分からないことも間違いなくたくさんあります。実際、今日僕はこうやってラーンネットにきて「自分の学校ではこういうところを変えよう」とか「自分の考え方もこういう風に塗り替えよう」とか、たくさんのことを感じるわけで。でも多くの先生はずっと学校の中にいますからね……。一度、自分なりの教育方法ができあがれば、それをアップデートしなくても定年までいけてしまうような世界でもありますし。

そういえば昔、こんなことがありました。僕が高校の同級生と一緒に、高校時代の恩師に久しぶりに会う機会があったんです。その同級生は教育向けのコンサルタントをやっていて。でもその恩師は「俺がお前たちから教わることなんか、あるわけがない!」って怒っていました。「コンサルティング? 意味が分からん。俺の方が現場にいるんだから!」って(笑)

教育の現場にコンサルが入るって、なかなかなかったんですよね。最近は私立の学校でやっと少しずつそうなってきましたけど。

でも本来は社会に出た経験がなければ、進路指導なんかできないはずですよね? 

そうなんです。だから最近の若い先生たちの中には、勉強熱心な人も出て来ました。ちょっとずつ変わっている実感はありますね。とはいえそういう昔ながらの先生もまだまだたくさんいます。もちろん時代的な価値観もあるのでそれも否定はできません。上手に融合していければいいですけどね。

学ぶ責任は先生にあるのではなくて
子どもにあるというところを
ベースにしなければいけない

Theme3

大学、そして日本の学校が
時代に追いつくためにできること。

ここまでたくさんの衝撃的なお話を聞かせてもらいましたが、これらすべてが最初におっしゃっていた「学校の枠をすべて取っ払った」結果なんですね。

そうですね。ただ「すべて取っ払う」といっても、子どもを預かる限りは、当然ながら社会的な責任も発生します。したがって一般の学校で身につける基礎的な要素も学べるカリキュラムをつくっていますよ。

つまりは算数や国語といった基礎学習ですか?

そうですね。読み書きに計算、さらにテーマ学習の中で理科や社会の要素もカバーしています。それらに加えて、人間としての基礎的な要素ですね。例えば人間関係を構築する力や、自分で主体的に学ぼうとする力などがそれに当たります。だから旧来からの学校的な枠がまったくないわけでもありません。ただ最初に言った通り、それらを「どう学ぶか」は子どもたちが選べるようにしています。特に最近は中学生にもなるとネットでガンガン学んじゃうから、彼ら・彼女たちの得意分野に関しては、もう大人は敵わないわけです。

はい。とてもよく分かります。特に専門的な部分になると、絶対に無理ですよね。

例えば、さっきも話に出てきた音楽をつくっている彼。オンライン上で海外のクリエイターとつながったり、コラボをしたりしているそうなのですが、そうなってくるともう僕には何をしているのかさっぱり……(笑)。その分野において、彼に教えられることなど、ひとつもありません。一方で基礎学習はどうかというと、それもAiのタブレットツールなどがたくさんあって、下手な先生が教えるよりあっちに任せた方がいい。

廊下に貼られた生徒たちによる作品。

どう読むのかな? 頭を柔らかくして考えてみましょう。

先ほどのお話の中で『リベラルアーツ』が出てきました。それを小学生が学ぶというのは少し早いような気もしますが、どうなんでしょう。

確かに「リベラルアーツをいつ学ばせるか」については議論が分かれるところですね。アメリカでは大学で流行っているんですが、さっきの音楽の彼じゃないですけど、中学生が専門性を極められる時代に、大学になってからでは遅いと思って。またイギリスでは高校でリベラルアーツを学んで、大学では徹底してそれぞれの専門をやっています。これも悪くないんだけど、それでもやっぱり遅い。例えば将棋の藤井聡太くんなんか、中学生でプロになったし、すでに大人も敵わない。だから今の時代は、中学でリベラルアーツ、もしかしたら小学高学年でもいいと思っています。そう考えると、最近は大学なんかもういらないような気がして……。

必然的にそうなりますよね(笑)

うん。僕は大学院の学長をやっていますけど、大学で教えられることなんか、本来ないはずなんですよね。だって生徒の方がすごいから。今後、大学に進学するような子どもは落ちこぼれだと思われる時代が来るかもしれません。だって起業家なんかもみんな中退でしょ? 大学に行っていない人も多いし。やはり大学が、そして日本の学校全体が時代に追いついていないんですよね。

自身の信念やロジックに基づいた教育を貫く炭谷氏の言葉は、無数の気づきや問題提起に溢れていました。

教育におけるアートの大切さは僕もすごく感じています。僕自身はもともと「アートなんて、自分には見てもわからない」「携わるものではない」と思っていました。でも大人になって初めてちょっとした興味が生まれて。ちょっと見方を変えれば解釈も変わるし、アートを通して自分にかかっているバイアスに気づくことができました。

僕も同じです。小さな頃からアートが一番苦手で、絵と工作の授業が一番いやだった。でも大人になって鑑賞だけは少しできるようになって、さらに数年前にラーンネットのアフタースクールに木野内美里先生を招いて臨床美術の授業をやってもらって。それを受けたら、自分の中で出来たという感覚があったんです。その時に感じたのは、最初の段階で大事なのは、ある程度の枠を用意してもらうことですね。それがあれば、誰でもアートができます。ざっくりとした指示があって、さらに自由度もある状態。

ちょうどいい自由度が必要なんですね。

そうそう。そのバランスが木野内先生の授業は絶妙なんです。好きなように描くわけでもないし、指示通り描くわけでもない。その枠の中でやっていくと、みんなクリエイティブな作品をつくれます。ラーンネットでやっているアートの授業も同じで、いつの間にか全員が出来ているし、個性も出ます。アートの時間こそが、生徒たちそれぞれのやりたいことが一番色濃く表れるはずですね。

そうですね。でも生徒たちはその個性、つまり「人と違う自分」を開示することを怖いと感じています。そう感じさせる環境が学校の教育の中には見られますし……。

そうですよね。僕自身も小学校の頃に、先生に「ここはこう描いた方がいい」って注意された経験があって。もちろんその先生は怒ったわけではなくて、親切心でアドバイスをしてくれたんだと思いますが、僕は自分が描こうと思ったことを否定された気になってしまったようで……。そうなると描きたくなくなっちゃうし、自分を出そうとしなくなっちゃう。「描いてもまた先生に何か言われるのでは?」「だったら描かない方がいい」って無意識に思うんですよね。

僕も同じです。小さな頃に絵の教室に通っていたのですが、そこで自分が描いたものを笑われたらしく……。その後、自分で辞めたのか、辞めさせられたのか分からないですが、そういう経験が残ってしまった結果、ずっと「アートは苦手」と思い込んでて。

子どもは敏感ですからね。少しでもネガティブな言葉を使ってしまうと、ネガティブな記憶として残っていきます。それが次に何かをしようとする時にブレーキになってしまう。でもその逆で、自分で何かを始めた時にポジティブなフィードバックをしてあげれば、どんどん自分から動きたくなるんです。そこを大事にしないといけないですね。

大学に進学するような子どもは、
落ちこぼれだと思われる
時代が来るかもしれない

(おわり)

INTERVIEWER'S VOICE

池谷陽平

ラーンネットを中心とした炭谷さんの取り組みは、今の社会に必要な力を自然と身につけることができる新しい学校システムの提案だと思います。技術革新によって栄えた産業社会と比べ、より成熟した状態である現代社会。そこにおいては子どもたちの創造性を育み、与えられたものではなく自分たちで考え、選択していくことがよりよい社会を築くことにつながります。その中で、子どもたちが主体的に学び、またその主体性が生まれる環境を作り出し、自己肯定感を高めていくプロセスにも共感しっぱなしでした! 学校だけでなく、家庭、人材育成を必要とする場所(ほぼ全て)に関わるあらゆる人たちに読んでもらいたい!! 炭谷さん、ラーンネットの子どもたち、スタッフのみなさん、ありがとうございました。

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