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先生のマインドセットを変えて、
時代に必要な大きなシフトチェンジを。
(前編はこちら)
いま日本の多くの学校で、探究の授業プログラムをつくることができず、竹村さん(以下:エミさん)のような外部の方とコラボレーションする機会が増えているようです。そしてそのプログラムをアレンジすることなく、そのまま授業で展開して「これはうまくいった」「これはうまくいかない」なんて話しているのが、探究学習の現状だと思います。
クラスや生徒に合わせてカスタマイズすることができないんですね。
そうなんです。たとえば『ハイテックハイ』でやっているプログラムを参考にするとして、日本の学校でそのままできるわけがないことは明らかですよね。やはり自分の学校に合わせたアレンジをしないといけないんですけど、それが先生たちにできないという問題があります。先生としての役割を担えていないというか。その理由のほとんどが「忙しいから」なんですけど、それは本当にもったいないと思っていて。
でも日本の学校の先生たちが忙しいのは事実ですよね。書類的な作業のボリュームも多いと聞きますし、あとは部活の顧問とかもあって……。
たしかに小学校と中学校の先生はかなり忙しいと思います。僕も中学を担当しているのでよく分かります。やはりその年代だと、子どもたちから目が離せません。ただ高校にもなると、子どもたちも自立してくるし、時間をつくれないことはないんです。よくSNSなどで叫ばれている学校という職場の“ブラックさ”も、小中学校がメインだと思います。
では他の学校ではできないのに、追手門の探究の授業が、オリジナリティを持ち、また外部プログラムも細かくアレンジができるのはなぜですか?
いちばん大きな理由は、僕自身もそうですけど、探究専属の先生がいることでしょうね。一般的な学校は、そういう組織づくりがなかなか難しいので、外部プログラムをアレンジするキャパがないんだと思います。
なるほど。もちろん数的なキャパの問題はありますよね。あとはやはり『カリキュラム中心主義』から、『学習者中心主義』に大きくシフトチェンジするべき時代の大きな転換期だということも言えると思います。その部分を変えずに外のプログラムを入れてプロジェクト型学習をやったとしても、池谷先生がおっしゃったように「うまくいなかった」ってなるだけだから。
その通りだと思います。その問題もありますね。
まずは先生たちがマインドセットを変える。そうすれば教室にいる子どもたちの状態をしっかりと把握し、どこに伸び代があるのかを意識できるようになって、ちょっとした声のかけ方まで変わってくるはずです。それにたとえば『朝の会』の使い方なんかも変わってきますよね。だけどベースがカリキュラム中心主義のままで、外からプログラムを足したって、先生にも生徒にも負荷がかかるばっかりで、でも効果は目に見えて出ないっていう悪循環になる可能性が高くなると思います。だからお金を使って外部に頼るのではなく、まずは今あるリソースを使いながら、マインドセットを変えることで、現状は改善していくはずですよ。
費用をかけて手法ごとガラッと変えなくても、今まで通り教科書を使った授業でもいいということですよね。変えるべきなのは先生たちのマインドセットであって。僕たちもこの『オードライブ』という“キラキラした”メディアを学科独自で運営していて、著名な方と対談とかもさせてもらっているんで、多額のお金を投下しているように思われそうですけど、まったくそんなことはなくて。自分たちの頭を使っているだけです。だからどんな学校でも、どんな先生でも、本当はできるはずなんですよね。
たとえば私の息子が行っているアメリカの学校でも、普通に教科学習をやっています。でも日本と少し違うと感じるのが、先生の問いの出し方がすごく上手なんですよね。例を挙げると、世界史の授業でたとえば最近だと「ハイチ革命」を学んだらしいんですけど、生徒それぞれがその革命に関わるいろいろなプレイヤーのいずれかになった設定で、別のプレイヤーに手紙を書くということをやったそうです。
えー、面白い!
そうですよね。史実として覚えないといけないことがあるのは、日本の受験勉強と同じです。でも手紙を書くことで、さらに深い知識や好奇心につながりますよね。また手紙を書くわけだから、国語の要素も入ってくるし、ロールプレイングをすることでディベートの要素も入ってくる。そういう風に教科書を使った一般的な学びでも、“仕立て”を変えることでできることがたくさんあるはずなんですよね。
ただ知識として、年号を覚えたり、歴史上の人物の功績を覚えたりするのとはぜんぜん違いますね。それでいて、知識を覚えることにもつながっていて、すごいな……。
あとアメリカの学校では『エンゲージメント』という言葉がよく使われます。日本だと『主体性』と訳されるものなんですけど、それって「先生が言われたことを、きちんとやる」という主体性ではなくて、「もっと学びたい」と感じる主体性なんですよね。そのエンゲージメントをどのように引き出すかが先生たちの大きな役割だと思います。決して知識を与えることではありません。
そうですね。さきほどの手紙を書く例もそうだし、ミレニアムスクールなどで見られる授業もそうですけど、SELなどのいろいろなプログラムをベースにすることで、まずは思考力やエンゲージメントを育み、それを土台にしているからこそ成功しているんだと思います。でも日本ではそういう学びってあまりイメージしにくいんですよね。「社会とのつながり」って言われると、すぐに「企業とコラボレーションしないと」とか「地域の課題を発見して、その解決策を探ろう」みたいに考える人が多くて。
もちろんそれもいいんですけど、担当している単元を創意工夫することで、より学習者中心の学びにしていくことが先だと思います。
エンゲージメントを
どのように引き出すかが
先生たちの大きな役割
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日本の教育の良さを残したまま、
新しいチャレンジを。
そのほか、アメリカの先生と日本の先生の違いを感じる部分はありますか?
やはり日本の先生たちは、よくも悪くも、とても真面目な方が多いですよね。学習指導要領や指導書、教科書などがパッケージとしてきちんと整っていて、それをすべての生徒たちに、広くあまねく届けましょうという大前提があるというか。
その点はアメリカとは違いますよね。
そうなんです。アメリカだと、特に私立の学校はかなり自由にカリキュラムを変更することができます。最近でこそ、日本でも「カリキュラムマネジメント」という概念が聞かれますが、まだその発想は新しいものですよね。
はい。そこに魅力を感じている人もいれば、まだまだぜんぜん先の話だって考えている人もいます。
僕も違いは明確にあるなと思っていて、たとえば日本の先生は自分が担任をしているクラスの40人を、本当に自分の子どものように扱います。だから40人全員の進路を真剣に考えて、よりよい方向へと導くのに、すごく時間をかけているんですよね。
なるほど。でもそれはいいことですよね。
もちろんそうですね。たとえばお昼休みに生徒たちが「先生、少しいいですか?」って相談にきたら、みんながお弁当箱をいっかい閉じて「どうした?」って話を聞きます。でもアメリカから来た先生が同じように昼食中に話しかけられたら「はぁ?」って(笑)。「先生がご飯を食べているんだから、いま話しかけるのはおかしいだろ?」って突き返したのを見たことがあります。もちろん全員がそうではないと思いますが、とにかく日本の先生は自分の時間も当たり前のように生徒たちのために使うし、それが故に、生徒たちの悩みを自分ごととして抱え過ぎてしまって、精神的な負担も大きくなってしまうんですよね。
いい意味での“ドライさ”が鍛えられていますよね、アメリカの先生たちは。そもそもビジネス文化もそうで、30分と決めた会議なら、必ず30分で終わります。日本はなかなかそうもいかない面が残っていますよね。時間で区切ることを「愛想がない」みたいに思われるところがあって……。
そうですね。30分を予定していた会議が1時間、いや2時間になることもあります。
そういえばいま読んでいる本の中にも印象的な話がありました。それはアメリカの貧困家庭が多い地域の学校に勤める先生の話なんですけど、『2×5』だったかな? 『2×10』だったかな? そういう戦略が紹介されています。それはたとえば元気がない生徒がいたら、「10日間にわたって、毎日2分だけ話を聞く」というもの。それだけですごく関係性がよくなったり、少し荒れていた生徒が協力的になったりしたそうです。でも日本だと「2分だけ」っていうのは、なかなか抵抗があるなっていう(笑)
はい。むしろ冷たい、みたいな(笑)。「心がない」みたいに捉えられそうですね。それもひとつの手法として持っていたらいいはずなんですけどね。
今日は追手門の授業を見学していただきましたが、何か感じたことはありますか?
生徒さんたちがサークル状になって対話をしながら振り返りを行う活動を拝見しましたが、とても感動しましたね。生徒の皆さんが、とてもいい表情をしていて。あと池谷先生がやっていた瞑想の時間ですよね。あの空間にはそわそわしている子が全然いなくて、沈黙の中でちょっとした雑談があって、それは仕方ないんですけど、それも自然と落ち着いていって。すごくいい流れだなと思っていました。あれは『創造コース』の生徒さんたちですよね?
そうです。今年度から始まったコースで、探究的な学びを軸にしながら、すべての教科をつないでひとつの学びにしたいという思いがあります。創造コースには定期テストがないので、その代わりにこれまでを振り返るための時間をもうけました。あの瞑想もその一環ですね。
定期テストをなくすことで、生徒たちの反応はどうですか?
おそらく「逆にしんどい」と感じていると思います(笑)。というのも、まったく何も課さないわけではなくて、テストに代わる課題は出されるんです。それはもしかしたらいわゆる定期テスト前の1週間よりも頭を使うかもしれません。今日はちょうどそれが終わったところだったので、“幽体離脱”するイメージで、一度ポカーンとさせたいなっていう思いもありました。
おっしゃる通り、対策がしやすいテストより、リサーチとか課題の提出の方が、生徒さんへの負担感は大きい場合もありますよね。
これまでエミさんにもいろいろと相談をさせてもらいながら、SELの考え方を取り入れてやってきました。去年から僕が中学を担当することになって、朝に瞑想を取り入れるだけで、生徒たちの精神状態がまったく違ってくることを実感しています。探究の授業においても、まずは「違いを認識する」という基本的な部分から始めて、そこから「自分はオリジナルである」ということを理解し、「自己肯定感を抱きながら他者と協働」して、「自信を持って行動する」といったプログラムを構築しています。その結果も見え始めていますね。
池谷先生のお話を聞く中で、とてもユニークだなと思うことがあります。それはたとえばハイテックハイみたいな学校だと、そもそものベースに『プロジェクト型の学習』があって、それを軸にして教科横断型のカリキュラムをつくっていますよね。でも日本の学校は『教科学習』がベースにあって、そこが大きいな違いです。だけどその日本の学校の良さを活かしながら、メタ認知の力を上げたり、他者との共存、創造する力を育もうとしていて、それはすごくチャレンジングなことだと思うんです。
ありがとうございます。たしかに今日のサークル対話を見ていて、僕も感動したんです。子どもたちの頭の中が抽象化されているというか、「授業で何を学びましたか?」っていう問いに対して、具体的な知識や項目ではなくて「こういう視点を学びました」「こういう考え方を知りました」みたいな回答が多くて。
それぞれの生徒たちが自分の中に活動の意味をつくっていってるんでしょうね。本当に素晴らしいと思います。
アメリカの先生は
いい意味での“ドライさ”が
鍛えられている
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新しい学び方の浸透で、成果を実感。
生徒の姿勢と表情が変わっていく。
生徒たちが瞑想をしたり、互いにアドバイスをしたりするグループは、「クラス」という単位では少し大きいので、最近は自分たちの悩みを自分たちで解決するための、もう少し小さなコミュニティをつくるのが大事だと感じています。そもそも生徒たちは授業中に会話ができることを何より喜ぶんです。とにかく話がしたいんですよね。それが一番楽しいと感じている。でも授業でそれをやらせないから、何かしらのイベントや行事をやらせてくれ! という声が上がってきます。
生徒間の交流ですね。たしかに日本では授業中にそれがなかなかできないから。
そうなんです。50分の授業を1日7時間、ずっと座って話を聞いているだけ、みたいなこともあります。例えばその半分の時間を、生徒同士で互いに会話をできる内容にすれば、学校は大きく変わるはずです。その文化をつくるために大切なのがSELだと思うんですが、高校生の授業にSELを導入するのは、なかなかハードルが高くて。
そうでしょうね。たとえばペンシルバニア州の中学校では「SELをきちんと取り入れましょう」という方針が掲げられていて、プロのスクールカウンセラーが、先生たちにSELのスキルを与えるところまでを仕事としてやっています。
プロが介入するってことですね。それが理想だと思います。
あと池谷先生がおっしゃったように、日本の学校のホームルームを使ってSELをやろうとしても、どうしても40人というグループになってしまいますよね。アメリカでは『アドバイザリー』と呼ばれる固定メンバーと先生によるグループを設けることが多くて、そこでの時間を良質な対話の場に仕立てることで、信頼関係や帰属意識を育む場に育てようというアイデアが、サンフランシスコのミレニアムスクールなどでは提唱されています。アドバイザリーで信頼関係が構築されれば、その集合体として学校全体もより安心安全な場になっていくという考え方ですね。ただクラス40人だと多すぎるので、2-3のアドバイザリーグループに分割するといった考えには共感します。もちろん実現するには難しいことだとは思いますが、先生間の関係性があり、管理職の支援があればできなくもないですよね。……って、あ、ごめんなさい。私は現場にいないから「できなくもない」とか気軽に言っちゃって(笑)
いえいえ(笑)、とても参考になります。でもエミさんには日本の学校でそういう研修をやってほしいですね。それと同時に、そういった考え方を広めるというところもお願いしたいです。研修をして、それを広める。その中で追手門ともコラボしてもらって。
ぜひぜひ。でも追手門さんのように、学校全体で探究的な学びに取り組めている例って、まだ日本には圧倒的に少ないですよね。もちろん文科省からのお達しがあって、どこの学校もやろうとはしていると思いますが「けっきょく教科学習の方がよかったんじゃないの?」ってなりがちなので。
そうですね。探究は成果が見えにくいのでということもありますので。
でも生徒の姿勢とか表情が絶対に変わるはずだし、新しい学び方が浸透していけば、成果も実感できるはずです。探究学習に力を入れることで、生徒さんにどういった変化が生まれてくるのか。その辺りは、追手門さんから学ぶところはたくさんあると思います。
今後としては構想はありますか?
はい。アイデアはたくさんあります。たとえばこの前ブリッジラーニングの仲間と話していたのは、先生に対する研修活動をやる中で、まさに先ほど池谷先生がおっしゃっていたように、こちらが提供するプログラムを先生ご自身がどううまく料理してもらえるようにするか、という部分ですね。そこについてはいろいろと考えています。
それはいいですね。僕たちも自分たちつくったプログラムを、別の学校でも効果的に使うための方法を考えていて、それを広めていきたいと思っています。そもそも追手門オリジナルの探究プログラムを自分たちだけのものにしたいなんて気持ちはまったくなくて、すべて外に出したいと考えているくらいなんです。ただ何度も話した通り、そのプログラムをアレンジせずにそのままやっても意味がないので、そこが難しくて。ぜひエミさんの力をお借りしたいですね。
そうですね。一緒にやっていきましょう。あとは生徒さんのアクションにつながるような応援ですね。たとえば娘の学校では最近『ブラック・ライブズ・マター』、つまり人種差別に対する抗議運動を考える中で、自分にできることは何か、そして実際にデモに参加するかどうかなどを考えているようです。そういう行動を応援するための発信や活動をしていきたいなと。
それもすごくいいですね。授業の中で生徒たちが興味関心を抱くトピックスを見つけたとしても、学校ではそこがゴールになってしまうことが多いんです。1クラス40人による40通りの興味関心をすべてカタチにすることは無理なので、その先の行動に移せる場所を学校では用意してあげられません。それがけっこうもどかしくて。そういう時に「エミさんのところにいけば、ヒントがもらえるよ」といったつなげ方ができると嬉しいです。