「いまプロジェクト」最終回!
作った作品は数にして約1700。。。それを67人の中学1年生がさばく。作品集としても、物語としても楽しみな「ストーリーブック」。キャプションを添えて校内に展示しました。足を止めて作品を手に取り読む、いい光景だなとほっこり。全て紹介することができないのが残念ですが、面白いので読んでみてください!!!(Reflectionの下に作品があります。)
「いまプロ」についてはコチラ!!!
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Students’ Reflections
- こんなにも媒体一つからいろんなことを感じてそれを共有するのって面白いんだ、と驚きました。
- 自分も含めて、この企画がどんな姿に行きつくのか予測不明ではあったし、皆が何をしているのかもわからない今回の企画。でも最終的に一つの本としてまとまった姿を見て、それまでもどかしかったものが一気に吹き飛び、実際に我々全員が作り上げたものなのだと再認識できたことに少し感動した
- おそらく一番初めに中学一年生が提示されたテーマはクラスで同じものだと思うが、人によってここまで表現方法が違ったり、そのことによって感じるものが違ったりして面白かった。今まで生きてきた環境や経験が違うからここまで違うものを感じているのかな、と思うと神秘だな、と思う。その十人十色な文章があそこまできれいにまとめられて冊子になっていることに感動した。ひとりひとりの考え方や感じ方について触れることができて楽しかった。何を思ってそのデザインでチェキやちぎり絵、文章を作ったのか聞いてみたいと思った。
- 今回のプロジェクトで感じたことは、成長です。今回は横でのシェアができないということで、縦のつながりを意識したものでした。中学1年生から高校2年生まで年の離れた人同士、さらには顔も見合わせない人たちが連なったところで、何も生まれないと思っていました。がしかし、一つの作品制作を通じて、まるで一緒に制作しているような気すら感じられました。
- 繰り返しによって悩みと希望が行ったり来たりする様子が表現できていた。日常が当たり前ではなくなった描写があったので、コロナによって皆が思っていることが作品になったと思う。どう感じたり思おうが、時間は進んでいく様子が上手く表されていた。
Q中1が作ったストーリーブックを読んで、感じたこと、考えたこと、気づいたことは何ですか?
ー今、踏んだ人誰?、
ー私は床階段の床。生まれた時から踏まれつづけてきた。そんな私でふと思う。そろそろ踏まれるのにあきてきた。けれどもそれも床としての運命。ところが、
ー今、気が付けばこの場所に立っていた。私は誰なのか、ここはどこなのか、全く分からない。周りに居た人にこの土地について尋ねてみた。
ーこの土地はいつか追大(追手門学院大学)ができるときいた。ついでに追中と追高を見てみよう。というのも、
ー今、ここに壮大な景色が広がる。自分のまわりのことはちっぽけにおもえる。なにもかんじなくなる。でも、
ー僕はうれしい気持ちになった。いつもの子が来てくれたから。ただし、
ー今、普段の「日常」に疲れてしまった。私は、目をつむる。疲れや嫌なことから目を背けるように。そうすると、
ー自分の目の前には真っ青な空と緑が広がっている。そうしたら、
ー今はもみじが真っ赤に染まる秋の季節。奈良公園へ来た人間たちは私たち鹿にしかせんべいというものを食わす。私が食べている様子を見て喜んでいるようだが、正直言ってまずい。
ー私は鹿。むしゃむしゃシカせんべいを食べるのが日課。床に落ちたシカせんべいを食べる。まばらでも食べる。むしゃむしゃむしゃむしゃシカせんべいを食べる。また、
ー今、私は絵を見ている。この絵を見ると不思議な気持ちになる。この絵の裏には何かがかくされているのだろう?
ーそれは私には分からない。他に誰か知っている人がいるのかもしれないし、誰も知らないのかもしれない。しかし、
ー今、私の心の主張は控え目だ。誰かの光にまかせ、自身は影に逃げる。その繰り返しに飽きてきてしまった私は行動に出た。驚くことにその行動は心をまったく別の方向へと化した。というのは、
ー私の心は穏やかになった。そして私は自ら光となった。誰かを照らす太陽のような存在になりたい。要は、
ー今、僕は夜空を見上げている。そしてドーンと大きな音をたてて、光が散っていく。花火だ。そして僕はその花火を見ながら、君の顔を思い浮かべる。
ー花火のように綺麗で明るい君の笑顔を見たい。というのは、
ー今、人の心は言葉では動かない。人の心を動かすのは行動や。
ー自身の心はある行動から、驚くべき変貌をとげた。一見、変わった様子は分からないだろう。しかし、それは確かに変わったのだと感じることが出来た。それからは、
ー「今私、辛い気持ちでいっぱいいっぱいになってまして、ええ。あ、聞いていってくれませんか。こんな私のつまらない話を。まずは何から話しましょうかね。私今日50歳になったんですよ。めでたい日に何をこんな悩んでいるのかって。」「まあまあそんなに急がずに。んも、100年生きる時代になったんでしょう。」
ー激動だった私の半生も思い返すと結果的には良い思い出です。しかし、
ー今、暗闇に小さな光が落ちてきた。この光が何か分からない。自分がどこに居るのかも。何をしたいのかも・・・
ーただ一つ感じたことは、輝いている光は美しく、希望を秘めているような気がした。自分は不思議な光のようにさまよっている。自分はどんな姿をしているのだろうか。自分らしい、何か特別なものを放っているのだろうか。それとも、
ー拝啓お母さん。今は昔、昨年のあの花の事を覚えていますか。他人からすれば何てことないですが、私にとってはかけがえのない思い出です。そして、
ー今は雨が続いています。しかし心はくもることなく元気に過ごしています。ときに、
ー今、全体的に暗いイメージが広がっているけれど、少し鮮やかな部分もある。
ー暗い。でも暗いところにだって光はある。ここにもほら、明るい部分がある。ここから抜け出せる。だって・・・
ー今、緑を求めて歩き出した。緑、緑、緑、、、あ、あんなところに!!でもそこまでの道は、暗く狭かった。
ー狭い道を通り抜けたら、とても広くてなにもない場所にたどり着いた。とはいえ、
ー今、この瞬間、様々なものが生きている。動物だけでなく草も空も。私は草と空の気持ちがわかる特殊能力がある。ある日、草は私に言った。「空になってみたい」と。
ーだから私は、「空に相談してみるね」と言って学校の、空と話しやすいところにいって、草と話したことを換言すると、
ー今日はいい天気なんだろうな。外に出て何ができるだろう。考えるだけで楽しいな。またあんな風に遊べる日は来るのかな。
ー監禁されてしまって丸4日。もう意識も無くなってしまった。外の明るさが分からない日とはこんなにもつらいものなのか、、、「ガチャ」ドアノブが開く。じゃあ・・・
ー今考えすぎてゴチャゴチャとした気持ち。考えすぎて頭の中で文字が渦巻いてる。ぐるぐると、ぐるぐると永遠にずっとずっと回っている。考えるのをやめようとしてもずっとずっと回っている。ずっとずっと回っている。考えたくないのに考えてしまう。ずっとずっと回っている。
ーずっと回り続けていると、プツンと音が鳴った。糸が切れてしまったのだ。でもそのおかげで何かが見えてきたきがする。ただ、
ー今は、真っ暗な世界。だれかが、自然と光をあたえた。
ーその光で見えてくる世界に色はあるのか。その色は美しいのか。好奇心と少しの恐怖が交差する。でも、
ー今、私は10年前に両親と来た、思い出の場所に来ている。両親はいない。私1人で。ふと、10年前に来たときのことを考えた。あのときと同じ景色が見えた。でも少し違う。
ー最初は小さかったけど、大きくなった。景色がよくみえるようになった。そのかわり、
ー今、やっと気付いた。この二つの簡単すぎる共通点。
ー柵。それはさておき、
ー今、すごく寒い。でも写真を撮らないといけない。ふと空を見たら済んだ青色だった。一瞬心をうばわれた。
ーおもわず私はシャッターを切った。撮った写真には、とてもすばらしい景色がうつっていた。ところが、
ー今、緊急事態宣言が出てしまい、なかなかコロナ禍の前の生活通りには行かないけれど、そんな中でも青空やグラウンドは以前と同じように、私達の前に広がっている。
ーまたきれいな青空の下で、みんなと走りまわりたいな、、、。それから、
ー今、私は、いつものように1人で下校している。いつもとかわらない日常、そんな毎日を変えたくて走り出した。
ー一歩ふみだせば、どこにだって行けそうな気がする。ただ、
ー今、ありきたりな風景ながらも特別で永遠性のある空を見つめている。望遠鏡で覗く月より、望遠鏡を使わずに見る月の方が遥かに大きく、美しく見える。
ー今日の月綺麗。心の中でそう思った。月をじっくり見るのは初めてだった。山の頂上よりもさらに上にある月。とても心が落ち着いたし、安らかな気持ちになっていった。だけど、
ー今、私は窓を見ている。窓は中をのぞけるのに、外をうつす。なんと不思議なことか。
ー不思議すぎてヘビになっちゃうわネ♡なぜなら、、、。
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Students’ Reflections
- どうせつながらないと思っていたが、意外と物語がつながっていて、しっかりと読めるものになっていた。最初の写真から「それ」という成分を取りだし、それが脈々と受け継がれていることを感じた。
- 一見関係のない二つのものでも見方を変えると共通点が浮かび上がってきたり新たな発見があることを知った。
- 人によってテーマや感じとり方の違うたくさんの作品をひとつの物語にしていて絶妙にかみ合っていたりちょっとずれていたりしていて自分の想像力の中で組み立てることで完成できる作品になっていると思いました。
- 人によってテーマや感じとり方の違うたくさんの作品をひとつの物語にしていて絶妙にかみ合っていたりちょっとずれていたりしていて自分の想像力の中で組み立てることで完成できる作品になっていると思いました。
- 自分が何をやっているのかわからなかったけれども、こうやって誰かに見てもらって付け加えられたりするのを見ると、微弱ながらつながりを感じた。これがコロナ禍における新しい時代のつながりなのかもしれないとそう思った。それはパソコンやスマホなどの精密機器を使わずとも、ソーシャルディスタンスは成立するのだと。