PROJECT

2021.09.22UP

【高2 #1】Most Likely to Succeed①

授業日 : 2021年6月17日

学校プロジェクト

今年度最初の「高校2年生」に関する投稿です!1学期のアントレプロジェクトについては、また落ち着いて記録していきますね!今回は、新しいプロジェクトの導入として“Most Likely to Succeed”を視聴し、自由に振り返りをしてもらいました。これはIdeas worth sharingだと思い今に至ります。単純に高校生がどう感じ、何を考えるのか。子どもたちと一緒に教育を考える機会に感謝!!!

それでは早速見ていきましょう。

リフレクション1

今の学校の形式が、元々は工場のために作られたことを初めて知った。動画を見て、今まで自分が持っていた学校への考え方が、狭かったんだなと実感した。普段学校で感じていた息苦しさというものの原因がこの動画を通じて少しだけつかめたかもしれない。それと、何かに対して深い理解をしていく楽しさというものが、自分はちょっとだけわかる。学校で受ける教科だって、深い理解を大切に学んでいけば、それはつまらないものではなくなると思う。

自分の所属している「学校」という組織だから多角的に見ることは一人では難しい。だけど、枠を飛び出して考えようとしていたからこそ、閉塞感を感じたのだろうし、ドキュメンタリーの提示していた課題意識に共感することができたのだと思う。とても素敵な姿勢ですね。その上で今の教科を否定するわけではなく、より意義深いものにしていくための思考が始まっていて、この人の描く未来の教育が楽しみだなと、そう思わせてくれるリフレクションでした。

リフレクション2

1人の女の子が前に立ってしゃべっていて、先生が自分の短所はなにかと問いかけた時に、堂々と「内気なところです。自信をもってしゃべりたいです」みたいなことを言っていたけど、自分からしたら自分の短所をみんなの前で堂々と言っていたから、全然内気な感じは見て取れなかった。自信をもってしゃべってるように自分の目に映ったから、第三者が見たらそこまでの短所じゃないのかもなと思った。あと、みんな大学、大学ってめっちゃ言ってたけど、具体的に大学でこれを学びたい!みたいなことにはあまり触れられていなかったから、「なんのためにみんな大学行きたい!って言ってんねやろ」って不思議だった。別に学びたいことが特別ないのであればしんどい思いをして受験して行く必要なくない?って思った。大学、大学って言われるのはやっぱり世界共通なのかな?って思ったけど、さっさとその風潮なくなれば良いのにって思った。あと、面談?みたいなシーンでお母さんが先生に「やっぱり私は普通に勉強してほしいです。息子に将来の選択肢を狭めてほしくはない。」みたいなこと言っていて、それ決めるのは息子やろ。って思った。

たくさんの先生、生徒、保護者。教育のステークホルダーは多く複雑に絡み合っていることを無意識に感じ取ったのかなと思います。自分から見る「自分自身」の不完全さを認識しつつも自分自身で決断をして道を切り開いていきたいという思いが伝わってくる、とても人間らしい温度と湿度を感じるリフレクションでした。どんなに個人の意思を尊重すると謳ったところで大学は前提と捉えてしまっているような、今のある意味いびつささえ感じるような教育に切り込んでいてハッとさせられました。

これらのリフレクションを読みながら未来を見据える探究Designer、Sota先生

リフレクション3

今の自分達には自由があるということはすごく不自由だと思う。決まった形があるからそこに従っているだけで評価がもらえる、その形にはまってさえいれば何をしても基本許される。今の自分たちはその形に慣れていて、形があるからこその楽さがある。でもその形が無くなり、そしてその形から自分で作り始めるとなると、今までの逃げ道はなくなるし、自分で動いていかないといけないしんどさがあると思うので、それに慣れてない人にはこの授業はとてもしんどく不自由なものだろうと感じた。社会に必要な人材、AIには超えられない人間を作るのが目的なのなら、教育が一人で先走ったり、遅れすぎていたりするのではなく、社会の進度と歩幅を合わせるということが大事なのかなと思った。

探究ってただ楽しいことをしているわけじゃないからこそ出てきた言葉だと思います。苦しいんやろうな~でも頑張ってるんやな~って。保護者や教育現場の人、これ見てドキッとすると思います。

クッションを縫いながら自由、不自由について考える探究Artist、Betty先生

リフレクション4

自分は生徒の保護者に一番共感したと思います。理由は、大切な人に幸せになってほしいという欲が、一番理解できたからです。このまま進むと子どもが頭を抱える未来や自分自身を追いつめて苦しんでしまう未来しかないんじゃないか、今ならまだ引き返せるんじゃないかと思うと不安や不満を抱え込んでしまうこともあるのかなと感じました。ただ大切な人に幸せになってほしいと思うのは漠然としていて、現実的に捉えて答えを出すけれど、それが本当に子どもにとっての最適なのか詰まってしまって困惑するんだと思います。でも動画でもあったように、教師がいることで、そのことに気づき、一緒に生徒の未来について考えられたのは、生徒の未来がどうであれ、素晴らしいと思いました

なんてこった。1番大切な「先生」の役割を諭されている気持ちです。一緒に未来を考え、学びに寄り添い、関わるという時間は何事にも代えがたいもの。にしても、共感する力、想像力に脱帽ですね。この感度で自分の判断を信じて生きてほしい!!!

こちらもミシンに無我夢中。生徒に必死に寄り添う探究Driver、Tyson先生

リフレクション5

人に指示されて動くことと、自分たちで考えて動くことでは学べることが全く違うなと感じました。私も最初は大学に行くためには高校で点をとることに意味があると思っていました。けどそのためにただ暗記をするだけでは大学にいっても活躍する人材にはなれないとも思いました。人に指示されて動くことは誰でもできるけど自分で考えて行動することは簡単ではないです。私もきちんと社会で活躍できる人になるためにやりたいことの意味を考えて積極的に参加する人になりたいです。自分の力で挑戦することはそれをやり遂げた後には見えなかった景色が見えるようになっていると思うし、失敗も自分の弱いところを見直せる機会になると思うので新しいことをやることには大きな意味があると思いました。

やり遂げた後の景色はもちろんのこと、内発的動機づけによって行動すれば、その過程でも様々な景色を目にすることができると思います。ここから先の行動の変化を想像するとワクワクさせられる、そんなリフレクションでした。

授業で大切にしている学ぶ姿勢の話にテンションが上がる探究Strategist、Sato先生

リフレクションたち

全部紹介したくて仕方ありませんが、あと少しばかり載せたいなと思いますので、最後にぜひ読んで行ってください!!!

勉強だけが全てじゃないと改めて感じた。自分は中学の時から勉強が1番という考えで、高校に入ってからもそれは変わらず、1年の頃は探究の時間も何のためにやっているのかが分からない。とそんなことばかり思って取り組んでいた。でも取り組んでいるうちに、楽しいと思った時があって、それはワイワイしている楽しいっていうのではなくて、自分の新しい考えに気が付いて楽しいと思った。言葉にするのが難しいけれど動画をみて、自分が探究に対して意識が変わったことを改めて思い出したように感じた。

子どもたちの多くは大人の作った型のようなものの中でつくられているんだと感じた。昔と今では状況がとても変わっているのに学校は昔と比べてたいして変わっていないと気づきとても不安に思った。今のこの状況を私はそこまで深く疑問に思ったことはなかったがこの動画を見て私が今していることは本当に正しいのか、将来役に立つのか分からなくなってきた。だけど今の状況にもっと疑問を持っていこうと思えるようになった。

理想と現実があまりに乖離しすぎているのである。そして、失うものが多い生徒側は現実を直視し、逆に教育現場に携わる大人はかなり理想を見がちだ。別に、教員も文科省の官僚も、理想を語ったところでリスクが少ないからだろう。でも生徒は今の日本でそれをやっては自分にリスクが大きいことをわかっている。

勉強はこんな問題で出されたらこの公式を使う、この文法を使うなど、ほとんど全ての教科で必要になるのは暗記です。それなのでこのような暗記はテスト前に行い、テストが終わればほとんど忘れてしまっています。このことは動画内で言っていた、1回目に行った平均B+のテストが3か月後には平均Fまで落ちてしまったという結果からも分かります。私の経験で感じたことは、勉強したことより学んだことのほうが記憶に深く刻まれているということです。例えば、苦手な理科の問題を解くとき、実験をたくさんしたときの範囲の問題は理解が出来ていてイメージもできるので、すらすら解けたというものです。この動画を見て、私の今までの経験を思い返してみたら、親元から離れて生活をしないといけないとなったときに役立つのは、勉強よりも実際に体験して学んだことだと思いました。

今後の世界でこのような教育を受けている人のほうが創造性などが高いだろうし、優秀な人材としてみられるだろう。でも、このような教育をできる先生たちがまだそろっていない気はする。今の先生たちの仕事はよくわからないけれども、このような教え方をしている先生のほうが先生自身も難しそうに感じた。今までに前例が少ないから余計に。

初めの方の、こどもに椅子のつくり方を教えたらもっと上手に椅子を作ろうとして幾何学を学ぶようになるという言葉に対してこれが本来の学び方なんだろうと思った。自分の興味のあることをもっと知りたいもっと上手になりたいからこそ数学や国語や英語や物理などが必要になってきてそれらを学びたいと思えるようになっていくんだと思った。

シンプルに主体的に何か月もかけて課題に取り組んでやりきるっていう経験ができるのは普通の高校ではできないし良い活動だと思った。見てて楽しそうだった。けど日本でこういう高校がでてくるのは当分はちょっと難しいような気がした。理由は日本もいい大学に入らないと良い就職先が見つからないから。まず大学のランクで面接を受けれるかどうかの選別をしているわけだし例え課題解決能力とかコミュ力、クリティカルシンキングがあったとしても大学のランクで面接の土俵にも立てなかったら意味がないと感じた。だから生徒がいい大学に行きたいと言っていたあのシーンは共感した。早く大学のランクで就職先が限定されるような社会の仕組みが変わればいいなと思った。

この学校のようなシステムが広がっていくにつれて、人は昔の哲学者とか新しい法則を見つけていった時代みたいに変わっていくのかなと感じた。それと続きをしたくても次の授業が始まって、自由な時間が来た時にはその続きをしたかったことへの興味や熱意がなくなってることが自分にはよくあったから、チャイムによる区切りがないことはとてもいいことだなって思った。

何で学校に行ってるんだろうと今更疑問に感じてきた。この映画を小さい頃に見ていたら確実に学校に入ってないだろうなと思ったのでちゃんと思考ができる高校生の時に見て良かったなと思った。確かに学校で習うことはほぼ社会で役立たないし、すごくいい大学に入って卒業してもへえすごーかしこーいで自分の努力を片付けられるのにもイラっとくるので勉強する意味を失ったらモチベーションが下がりそうだなと思った。学校で役立つのはクラブでみにつけられる社会性やリーダーシップとかだけだなと直感的に感じた。自分がやりたいこと学びたいことに合わせて授業をとれるスタイルの学校に行きたいと思った。

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