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知識を得るだけなら、家でもできる。
1回1回の授業に完璧を求めて。
私は小学校4年生から中学校まで不登校となり、5年生からは市の適応指導教室に通っていました。そこは元学校の先生で現在は退職された方や、学校の先生を目指す大学生が勉強を教えてくれる場所。ただ勉強に割かれる時間はとても短かかったので、自宅での自習に力を入れなければなりません。それを続けることで、学校に行っていない割には、それなりの学力をキープすることができました。その経験をすることで、高校には行きたいと思っていましたが、先生の話を聞きながら教科書で知識を得て、筆記テストで点をとるといった旧来型の勉強なら、ある程度は自分でもできることが分かったので、学校に行く理由にはならないと感じるようになります。
とはいえ他者とコミュニケーションをとりながら一緒に何かをつくるようなことは1人で家にいても不可能で、通っていた少人数制の適応指導教室や通信制の学校などでもできません。そこで大阪にある私立高校を片っ端から探し始め、結果的に追手門の『創造コース』にたどり着きました。調べる中で、テストで点をとることを目的とした詰め込み型ではなく、プロジェクト形式の授業であることをはじめ、自分が求めていた学びだと確信。自宅から通える場所にこういうコースを持つ学校があったのは、本当にラッキーでした。
私がいる『創造コース』は定期テストがないこともあり、1回の授業に“なんとなく”の姿勢で臨んでも大きな問題にはなりません。しかし私はそんな風に過ごすために学校に来ているわけではないので、意識的に完璧を求めて取り組んでいます。特に力を入れているのは、授業の終わりに行うリフレクションです。最高の状態で授業に取り組めば、リフレクションも止まりません。逆にプロジェクトとの相性が良くない時や、メンタルの状況次第では、自分はしっかりとやったつもりでも、意外にリフレクションで書くことが出てこないこともありました。その時には、そういう結果に至った理由を必ず探して、万全の状態で次に臨める準備をしています。
旧来型の勉強なら
学校に行く
理由にはならない。
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フラットに伝えて、誰かの役に立つ。
受けた恩を行動で返すために。
これまでの探究の授業で印象的だったのは、1年の時にやった写真を用いたプロジェクトです。内容は、それぞれが校内で自由に写真を撮り、それを共有し合って、写真から受ける印象などを匿名でフィードバックしてもらうというもの。結果的に自分の中の普段は見てもらえていない部分に注目してもらえているような気がして、とても貴重な経験になりました。それまでの私は「言葉こそが、絶対だ」と思っていて、言葉以外の手段で何かを伝えるというのは、初めてのこと。写真というより抽象的な表現で、言葉では知ってもらえなかった自分の本当の姿が他者に伝わったことに驚き、また同時にアート的な意識が芽生えた瞬間でもありました。
学校が休みの日には、近くのフリースクールにボランティア活動を行ったり、そこでイベントを企画したりしています。世の中には不登校であることをネガティブに捉えている人が一定数いるようですが、私はまったくそうは感じていません。家族の中でもマイナスに考える空気はなく、みんなが「ただの充電期間」と認識してくれていました。いま不登校の人や、その親御さんに対して、ほんの2年ほど前まで当事者だった私が、「なぜ行けなくなったのか」「逆になぜ今は行けるようになったのか」といったことをフラットに話せるのが私の強みであり、他の人にはなかなかできなくて、自分にできること。「大丈夫ですよ」と伝えるだけで、涙を流された方もいました。施設の中でいちばん不登校の本人に近い立場である私が、当時の心境などを話すことで誰かの役に立てるかもしれません。自分が通っていた時に受けた恩を返せるよう、これからも続けていきたいです。