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生徒たちが教えてくれた
先生と生徒のバランスの良い関係性。
私は大学時代に1年間のアメリカ留学を経験します。小さなころから厳しく育てられた父に「向こうに行くのであれば、日本に帰ってきた時にTOEICで900点以上がとれるか、英検1級がとれるレベルに成長してくるように」と激励されたこともあり、週末の教会での講和に始まり、夜もトークイベントやランゲージエクスチェンジなど、英語の習得に没頭。1年間に渡って、恐ろしいまでに寝ていませんでした(笑)。でもそのおかげで英語が話せるようになり、同時に大好きにもなったんです。その大好きな英語をずっと学び続けられる職業を探した結果として、いまこの仕事に就きました。「学び続けたい」という希望は叶い、先生になった今なお、英語の勉強は続けています。もう習慣になりましたね。語学を習得するためにいちばん良いと思う方法は、その言語で独り言をいうこと。だから私は、自転車に乗っている時とかに、ずっと英語でブツブツ言ってます(笑)
この仕事についてすぐ、頭の中で私が描いていた先生像は崩れます。というのも、はじめは「先生というのは絶対的な存在」だと思っていて、それが故に先生と生徒という関係を“縦”に考えていました。先生たるもの「これはいい」「これはだめ」と、生徒を導いていける存在でいなければと思っていたんです。やはり「先生」というのは、ある種、“呪いの言葉”。そう呼ばれるだけで、こっちもたくさんのことを知っているような気になってしまいます。しかし「生徒も先生も同じひとりの人間だ」ということを、生徒たちが教えてくれました。当たり前ですが、先生だからって偉いわけなんてないんですよね。
平らに近い関係を保っていると、生徒たちは私のことをよく褒めてくれるようになりました。「先生、前よりも話を聞いてくれるようになったね」とか「そこで謝るのが、先生のいいところだね」とか。また「大人や先生が無条件に正しいわけではない」ということも、つねづね生徒たちに伝えていることです。彼ら・彼女たちには、いろいろな先生や大人が言っていることを情報として溜めていって、その中でどれがいいのかを選べる人になってほしい。だからまず大人たちの話を冷静に聞くことはとても大切だと考えています。特に今、さまざまな情報や価値観に簡単に触れられる社会だからこそ、何が必要であるかを自分で選択できる人材になれるようにサポートしていきたいですね。
大人たちの話を冷静に聞いて
その中でどれが必要なのかを
自分で選択できる人材になってほしい。
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新しいことだからこその失敗。
それも含めて発信していきたい。
英語が大好きな私ですが、学校で受験英語のみを教えるということに対しては違和感があるし、その観点においては、優秀な教師とは言えないかも知れません。もちろんそれも必要な教育ではありますが、とはいえ例えばYOUTUBEで他の先生から教わることができるもの。私じゃないとできない授業ではありません。だから私の英語の授業では、教科書の内容はやった上で、例えば「死刑制度をどう思うか」というテーマでディスカッションしたり、英語を使って自分の強さや弱さを考えたり、あとは時事ネタや世間で起こっているテーマをみんなで考えて英語でエッセイにしたり、という取り組みをしています。去年は「半沢直樹は、なぜあそこまで人気になったのか」という議題を「伝統芸能としての歌舞伎の価値」といった観点を絡めながら議論しました。するととても白熱して、教師である私の方が発見を得るばかり。そのように教科書は使いますが、それのみに頼らず、内容を深く踏み込んだり、飛躍させたりすることで、数字では測れないチカラを養うことを目的とした授業を展開しています。
そんな中で、探究科の主任である池谷先生が、仕事をしている私の隣に突然やってきて「来年から探究、どう?」って声をかけてくれたんです。それに対して私は迷うことなく即答。「はい、やります!」って(笑)。むしろ「早く誘ってよ!」って思っていたくらいでした。だから今は英語と探究の両方を担当しています。探究は新しい科目であり、他とは違って、調べたところで授業の実践例があまりありません。特に失敗例は本当に少なくて。しかし生徒たちにより良い経験をさせるためには、教育という同じフィールドで戦う同志として、情報の共有が重要だと思います。だから我々が今やっていることを失敗も成功も含めてどんどん発信していきたいんですね。それが日本全体の教育現場に貴重な資料となり、教育界の大きな力を生んでいくわけですから。また新しいことをやっているからこそ、もちろん失敗もします。でもその失敗も含めて発信していく。それが大事ですよね。その情報を教育関係者だけでなく、将来、保護者となる若者にも届けていければいいなと感じています。