TEACHER

2021.05.24UP

【Bettyの五感日記 #2】種のはなし

眞鍋綾 探究科

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「種のはなし」

「くにやぶれてさんがあり」というフレーズがふと、頭をよぎった。去年の5月ごろ、世間は外出自粛ムードで大型商業施設は休業、数々の憶測がネット上で飛び交い、ざわついた空気のはずなのに、どこへ行っても「しーん」という音が聞こえてくるようだった。

私は困ったら山の方へ逃げる習性があるらしく(笑)、その日も例によって川上へと散歩にきていた。ずっと家にばかりいたせいか、腕も脚もどろっと重い。久々に外へ出て付けるマスクは、呼吸を遮るようでじゃまだった。いろんな大人たちが「こんなことを今まで経験したことがなかった」と言っていた。そんなに大変なことなんだろうか。これからどうなってしまうんだろう。意外とストレスは溜まっていないかもなあ。なんだかよくわからない、本当にわからない。

ざわざわしている気持ちとは対称的に空は雲一つなくて変な感じだった。春を待っていた虫が動き出したおかげで、鳥たちも元気に飛び回っているようだ。こんなに世の中は変わってしまったのに、何にも知らない木々は青あおとした新芽を枝いっぱいに抱えて、蓄えていたエネルギーを「これでもか!」というくらい発散している。年に一回のこのタイミングを待って、冬を越したんだなあ。人間たちを苦しめている今の状況なんか、自然にとっては何でもないのだろう。

ふと「春望」の一節を思い出したのはこのときだった。「くにやぶれてさんがあり。しろはるにしてそうもくふかし。」小学校の時に、散々音読をした詩。発表会があって、ホールで朗読したのを覚えている。ピンと張りつめた空気、暗いのに舞台だけが異様に明るく、息づかいは聞こえても人の顔は見えなかった。意味も知らずに暗記だけしたそのフレーズは、もちろんひらがなで、ただの音として浮かんできた。その割に言葉たちはそっと、そしてぴったりと私の気持ちに寄り添ったように感じた。

すぐにどんな詩だったのか、この詩を詠んだ杜甫とはどのような人だったのか、何を描写されていたのかを調べた。漢字で表示されるととたんにその言葉たちは意味を放ち、身近にかつ一層鮮明なものに思えた。壊滅した都。一時の賑わいが嘘であるかのような光景。絶望的な気持ちに反して、自然はそこに揺るぎなく在り続けていた。季節は何事も無かったかのようにめぐり、春が来て、草木が生い茂る。1000年以上も前に書かれたこの詩は、きっと様々な人の心を打ってきたのだろう。素晴らしい詩だ!と思った人もそうでない人も、教育課程の中でこの詩と出会い、(私のように)嫌々覚えたり、忘れたり、思い出したりしたはずだ。わけもわからず暗記した小学生の頭の片隅でずっと眠っていた詩が、10年以上たった今、私にその意味を調べさせている。

よく教育現場では、「種まき」という言葉が使われる。教えたことや語った人生観が、子どもたちにとって今ピンと来るものでなかったとしても、いつか、人生の軸となる何かに変わるかもしれないということ。全てが芽吹くわけではないと知りながら教育者たちは種をまき続ける。混乱の中を生きていくしんどい気持ちに寄り添ってくれた言葉たちは、まさに私の「先生」であった人がまいてくれた種だったのかもしれない。

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