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主体性を持って学ぶ生徒たちが
自分の教育スタイルを変えるヒントに。
私が教師を目指したきっかけは中学時代にあります。当時、担任であり所属していた部活の顧問でもあった厳しい先生がいて、怒られたり言い合ったりと、何度も衝突していました。だけど自分たちの卒業式で見たのが、その恩師が涙を流す姿。「あれだけいろいろとぶつかりながら、それでも生徒の門出に泣ける仕事ってすごいな」と感動した記憶があります。そこから数年が経ち、実際に物理の教師となって、追手門に赴任したのは13年前のことです。当時の私の教育スタイルは、いわゆる“教え込み型”。生徒たちにきちんと前を向かせて、教師の話をしっかり聞かせ、知識を習得させるのが正解だと信じていました。しかし28歳の時に原因不明の体調不良で入退院を繰り返すようになったことで、自分のやり方に疑問を抱き始めました。ただその時の追手門には、現在の探究科の先生たちのように、新しい発想や方法論を授業に取り入れようとする人はおらず、何から変えていいかが分かりません。
そんな時に偶然、追手門学院グループの先生を対象にした海外視察が実施されることになり、参加を決意。3週間をかけてオーストラリアの学校の生徒たちを見学する中で「自分の教育方法は、正解ではない」ということに気がつきます。特に印象に残っているのは、生徒たちが主体的に授業に臨んでいる点です。教えられるのではなく、自ら学ぶ。そんな意識を持っているのが、見ているだけでも伝わってきました。たとえば日本の学校における英語の授業は、まず文法や単語からはじまり、長文読解などを経て、ようやく会話という順番ですよね。しかし視察した学校ではむしろ逆。まず会話からスタートして、それに必要な知識を後から補っていくわけです。そのやり方を可能にしているのは、生徒たちの「実際に使える語学を身に着けたい」という前向きな姿勢と意志に他なりません。この体験を通して、徐々に昔のスタイルを捨てられるようになりました。
海外の生徒たちが主体的に
学ぶ様子を見学したことで、
昔のスタイルを捨てられた。
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学び方や教え方、考え方も。
時代に合わせた変化を。
物理や探究の授業、そしてクラスの担任をする中で、私が常に意識しているのが「最後の選択は生徒本人に委ねる」ということ。これは将来に向けた種々の選択を、すべて自分事としてとらえてほしいからです。私たち教師には、彼ら・彼女たちの可能性を広げるという役割はありますが、進む方向を決めたり誘導したりしてはいけません。もちろん他者の選択によってうまれた将来でも、結果的に理想どおりであれば、本人たちも後悔することはないでしょう。しかし思い通りにいかなかった時にきっと後悔してしまうし、うまくいかなかったことを他人のせいにする癖がついてしまいます。だからどれだけ些細なことであっても、最後の選択や決断は、絶対に本人の意思で行うようにさせています。
追手門の探究や私が担当する物理では、前例のない授業内容も数多く存在していて、それが故に不安を抱く方もいるようです。ただ時代が変わっていくのに合わせて、教育スタイルや学校そのもの、さらに保護者の方々の意識も変化していくべきもの。例えば探究で頻繁に見られる“プロジェクト型”の授業は、受験には向いてないという声をよく聞きます。ただ旧来型の座学も、プロジェクト型の取り組みも、学習する領域は同じで、アプローチが違うだけ。時代に合った変化だと理解してほしいですね。
校則だって時代にマッチしていないものが多々あります。例えば多くの学校で利用を制限されているのがスマホです。ただ休み時間に、運動が好きな生徒がグランドでサッカーをするのと、インドア派の生徒が友達とスマホでゲームをするのと何が違うんでしょう。片方だけを規制する理由はないはずです。もちろんすべてをすぐに変えることはできないかもしれませんが、変化する勇気を持った教育の現場を目指していきたいですね。