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探究が磨くのは、“前の段階”。
夢のひとつが叶った1年間。
僕が新卒で追手門に赴任して、今年で4年目になります。当初は数学だけを教える予定でしたが、探究も担当することとなり、働き始める時のイメージとは違ったカタチで教師生活を過ごしてきました。そもそも僕が教師を志した理由のひとつが「他人の人生に、直接的に関わりたい」ということ。高校3年生の担任を受け持った昨年度は、その夢を叶えることができた1年間でした。進路指導をする上では、僕のひと言が生徒の将来に大きな影響を与える可能性があります。だから慎重に言葉を選ばなければならないプレッシャーと、やりがいを感じましたね。卒業式を迎えるまで本当にあっという間でしたが、生徒たちの自信に満ち溢れた姿を見ていると、教師冥利につきる気持ちでいっぱいになりました。とても充実した日々でしたね。
最近、他の教科の先生に「探究のおかげで、生徒たちの自己発信力が磨かれている」と言われる機会が増えました。もちろんそれも成果のひとつではありますが、むしろ探究によって培われているのは、その前の段階にあるものだと思います。つまり他者との関わりの中で、自分自身を知り、認めるということ。探究では同じ課題に取り組んだとしても、それぞれのアウトプットはまったく異なります。そこから互いの違いを知り、また自分自身を理解するように働きかけてきました。その結果、多くの生徒が自分を客観視できるようになったと感じています。それは大学に提出する志望理由書に目を通すことで、はっきりと実感できましたね。
多くの生徒が
自分を客観視
できるようになった
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正解のない世界で、
同じ目線に立ち、ともに取り組む。
僕が探究のプログラムをつくる時は、授業で展開する前に、他のメンバーにプレゼンして、アドバイスをもらうようにしています。やはりひとりだけで完成させてしまうと、僕以外の先生がファシリテーションをする時に、よい結果が得られません。そうならないように、積極的に意見交換をしながら、メンバー全員に関わってもらい、教師全員の個性を集結させたものをつくることを目指しています。ちなみにこの方法論は、国語や数学といった一般の教科にも応用できるというのが僕の考え方。そもそも我々教師の考えは、自分が学生時代の経験に基づくことが多く、それだと問題解決のアプローチにも偏りが生じがちです。その結果、生徒たちの思考の幅を狭めてしまう可能性もあります。教師間でコミュニケーションをとり、教育観を共有する。その繰り返しが授業のレベルを高めていくと信じています。
学校現場では「生徒第一」という言葉がよく聞かれます。しかし実際は、教師が先頭に立ち、生徒たちを導いてしまっている場面が多いのが現実です。そこで僕は常に「学校という環境では、生徒こそが主役だ」ということを忘れないように意識しています。授業を進める上で大切にしているのも「生徒と同じ目線に立ち、ともに取り組んでいく」という感覚。当然ながら数学においては、生徒よりも僕の方が圧倒的に知識を持っています。しかし探究においてはまったくそんなことはありません。正解のない世界の中でうみ出される生徒たちの発想には、いまだに驚いてばかり。いつも「僕も負けられない!」と思いながら、一緒に活動を進めていますよ。