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オプションを広げつづけた人生。
「教育」が、少しずつ、確信へ。
僕は生まれてから9歳までをベルギーで過ごし、その後の2年間を日本で、さらにマレーシアで4年、再帰国して、高校は日本にあるインターナショナルスクールに通います。そして、大学と大学院はオーストラリア。だから、日本にいる期間は、人生の半分に満たず、教師でありながら、日本の学校にある一般的な文化や風土、受験における内実などは、ほぼ知りませんでした。また、学生時代に漢字を書く機会がなかったので、今でもあまり書けないんですよ(笑)
振り返ってみると、僕の人生は、ずっと“オプション”を広げつづける生き方をしてきましたね。いろいろと選択肢を持っていれば、いつかやりたいことが見つかるだろうと思っていたからです。しかし、結局やりたいことは見つからず、卒業後のイメージもできないまま。そんな中で、オーストラリアの大学では、教員免許を取得することを決意しました。その後、縁あって、日本の学校で働くようになり、少しずつ「この仕事、教育という分野が自分に合っている」と、確信していったような気がします。やはり、生徒たちに変化が生まれていくのを間近で見られるのは、とても贅沢なことですよね。
日本に帰国して、私立高校で数学を、公立高校で英語を教えた後、『タクトピア』という民間企業で、主に中高生に向けたプロジェクト型の教育プログラムを提供する仕事をします。そこでは、アントレプレナーシップ、つまり“起業家精神”というコンセプトのもと、問題解決能力の醸成や、いかに世の中に貢献していくか、さらに「自分にはクリエイティビティがあるんだ」という自信を持ってもらうための教育プログラムなどをデザインしていました。教育機関だけでなく、企業向けのセミナーなどもやっていましたよ。そして昨年、公立高校時代の同僚だった、探究科の主任である池谷陽平先生からの熱心なお誘いをいただき、また探究という興味深い取り組みが始まることなどから、追手門で働くことを決めました。
生徒たちに変化が生まれていくのを
間近で見られるのは、
とても贅沢なこと。
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果たしてこの時間は、誰のもの?
二度と戻らない50分を、価値あるものに。
今は、探究科で実践しようとしている学習スタイルの重要性を、強くアピールしていかないといけないタイミング。もちろんこれだけが正しいわけではないし、その「これだけが正しいわけではない」という事実も、きちんと伝わっていると思います。しかし問題は「結局、大事なのは受験でしょ?」「なんだかんだ言っても、知識を詰め込むのが大切なんでしょ?」という考え方が根付きすぎているということなんです。探究の授業で養えるのが、大学入学以降に非常に役に立つスキルだとしても、現実として、先に大学入試が来てしまう。そこは難しいところです。とはいえ、当たり前ですが、一般企業の採用面接で「センター試験は何点でしたか?」なんて聞かれることはありません。だからこそ、高校時代という、本当に様々なことを吸収できる時期に、何を学ぶべきかを、みんなが多角的に考えていけるといいですね。
僕が授業の中で意識しているのは、先生が与え、それを生徒が受け取るというスタイルではなく、生徒自身が自発的にチャレンジし、学びをつくり出すための空間づくりです。そもそも授業の50分間というのは、先生のものではなく、生徒たちのもの。その意識を持てば、生徒たちも「二度と帰ってくることのない、かけがえのない自分の50分が、これでいいのか?」と考えるようになり、授業の中での自分の学びをもっと大切にします。逆に「先生のもの」と考えてしまうと、置物のように座っているだけで、適当に50分を過ごしてしまいますよね。
また、その50分ができるだけ価値のある時間となるように、僕は生徒たちに対して「どうしてほしい?」と正直にニーズを聞きます。こっちはエスパーではないので、「察してください」とか「先生なら分かるでしょ?」とかはやめてほしい。そもそも先生というのは、とても変な存在。例えば学校の外のスーパーなどで生徒と会うと、「えー!?」みたいな感じで驚かれます。先生だってみんなと同じように、普通に生活しているということが、想像しづらいんでしょうね。生徒からしたら、“学校に住んでいる謎の生き物”ですから(笑)。僕はそういうおかしな関係性はなくして、お互いに1人の人間であることを認め合い、一緒に学び合う空間を作りたい。それさえ構築できれば、その空間に“先生”なんていらなくなると思っていますよ。