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自身の真っ当なキャリアに違和感。
信頼をベースに成り立つ関係を目指して。
私は私立の中高一貫校に6年間通い、そのあと教育大学に進学。新卒でグループ校である追手門学院大手前の教師となり、その後こちらへと異動してきました。高校の時には教師になると決めていて、そこからトントン拍子で今に至っており、いわば教育者としては真っ当なキャリアと言えるかもしれません。しかし今となっては、それはむしろマイナスなことと捉えていて。たとえば民間企業に勤める経験があってもよかったなとか、総合大学に行って、色々な選択肢の中から教師という職を選ぶ形でもよかったなと感じるようになりました。そう思うようになったのは、社会科だけでなく探究の授業も担当するようになってから。同じ探究科の池谷先生や高木先生は、非常に多様なキャリアを積まれている方なので。
普段意識しているのは、生徒と話す時に自分のことを「先生」と呼ばないこと。もちろん学校の先生という立場で話さないといけない場合もあるので、そういう時だけは一人称の「先生」を使っています。やはりそれ以外は、いち人間同士としての会話でしかないので。それに生徒たちが私の話に納得しようがしまいが、それも自由だと思っています。とはいえ、大人が放任しているだけで彼ら・彼女たちが真っ直ぐに育っていく保証はどこにもありません。そこで「モラル」という概念だけは、何度も何度も繰り返し生徒たちに伝えています。たとえば生徒たちはそれぞれノートパソコンを開いた状態で授業に臨みますが、彼ら彼女たちがモニターに何を写しているかは我々には分からない。もしかしたら授業には関係ないものを見ているかもしれません。だからこそ彼らのモラルを信頼するしかないんです。その信頼をベースに成り立っている関係性を保ちたいですね。
「モラル」という概念だけは、
何度も何度も繰り返し
生徒たちに伝えている。
Theme2
日本史というジャンルを超えた価値を。
学校でやるべきことを問い続けて。
新卒で担当した高校3年生のクラスでの体験が、私に大きな影響を与えます。そこは全員で35人のクラスだったのですが、僕が教える日本史を受験で使う生徒は、なんと0人。彼ら・彼女たちにとって日本史を学ぶ理由は、定期テストでしかないんです。そういった生徒たちに対してどのようにアプローチしていくかを、我々のような理科や社会科の教師は常に考えなければなりません。
そこで私はまず、定期テストは教科書の中から出すと約束し、テストの範囲はその前のテストが終わると同時に伝えておきます。つまり家で勉強さえすれば、テストはできる状態をつくり出すんです。その上で、授業では教科書の中から1行だけを切り取って、その奥にある本質的な部分を議論しあったり、論述の問題にしたりするなどして、「日本史」というジャンルを超えた価値を生み出せるようなスタイルをとるようにしました。教科書に沿って教えているだけだった頃は、二言目には「で、テストにどこが出るの?」と生徒たちは聞いてくるんです。それが今では「この1文は、どのように解釈するのが正しいの?」と問うてきます。質問のクオリティが上がってきていますね。
実はこの授業スタイルがとれるのは、弊校の生徒たちが大手進学塾の受験対策アプリを使って、すべてのオンラインセミナーを見れる、という前提があります。正直に言って「受験」という観点では、我々は予備校のベテラン講師には勝てません。そうではなくて、ここではわざわざ駅から学校まで歩いてきて、たくさんの仲間がいる中でしかできないことをやるべきだと思っています。
探究の授業においても、理科や社会科と同じ観点から難しさがあります。「5年後、10年後大切な……」と言ったところで、生徒たちには数ヶ月後に定期テストがあり、1〜2年後には受験がある。また生徒自身は納得していたとしても、そのご両親が「動画なんて作っている時間があったら、受験に向けた勉強をしなさい」と思うかもしれません。特に関西では探究科が追求すべき価値が教育業界に落ちきっていない状況もありますからね。そんな中で生徒たちが納得のいく合意形成をするために、自分自身も腹落ちのできる打ち出し方がまだできないっていうのが正直なところ。僕自身、まだまだ迷ってばかりだし、常に葛藤の中にいますよ。