相互に影響を与え合う
「協働」が当たり前の学校

  • 追手門学院中・高等学校 / 探究科
    上月 龍太郎

相互に影響を与え合う
「協働」が当たり前の学校

私はこの校舎が誕生した令和元年に本校に来ました。この新校舎はとても開放的なつくりになっています。ハードとしてこの開放的な土台があるので、我々教員としても、それを全力でというか、大いに生かした活動をしたいなという風に思えました。もっと開放的に相互作用が生まれるようなペアワークだったりグループワークだったりが、授業中やクラス活動の中、部活や生徒会活動、行事など、あらゆる場面で多く取り入れられるようになりました。

でも実のところ、すぐにコロナになってしまい、そういうものが一切制限された状態になりました。逆説的ですが、その状況下に置かれたからこそ、改めて「協働」の大切さや、もっと言うなら、「学校に来る意味」みたいな根本的なところから考えさせられました。そして、コロナを経て、より本格的に、多くの先生たちが、その意味や意義を理解した上で実施しているのかなと感じています。

授業中の協働、
日常に溶け込んだ協働

授業での「協働」を具体的に見ていくと、私は数学と探究の授業を担当していますが、例えば数学でしたら、ある問題に対しての答えやその過程の解法というのはもちろん持っていますし、それを丁寧に伝えることもできます。けれども、生徒たちにやってほしいのは、一方的にそれを聞くことではありません。

この問題に対して自分はまずどういう風に考えるのか、一方で、横に座っているクラスメイトはどういう風に考えたのか、思考やアプローチを他者と共有することで、相互的な気づきが生まれます。この解法は合っていたとして、じゃあなんでこっちは駄目なのかと、その答えに至るまでの過程を直線で結ぶのではなく、くねくね蛇行しながら色々考えることが、結構大事かなと思っています。

2人以上の人間が考えを出し合うことによって、新たな考えが出てきて、それを行動に移すことで、また新たな気づきやアイディアに出会う、その行為こそが「協働」の醍醐味、相互作用かなと思います。それに単純に、どこが難しいとかこの単元面白いねとか、感想を言い合えるだけでも、生徒たちの意識やモチベーションが変わってきますね。全員が携わっているからこそ、得意・不得意の分野であっても敷居が低くなり、講義形式よりも参加しやすくなっています。

こういった「協働」が、今では授業だけでなく、クラス、部活、行事など色々なところで生徒自身が生み出すようになってきました。例えば、行事を取り上げるなら、生徒会と生徒会実行部が取り仕切る体育祭・文化祭の2大イベントは欠かせません。どのようなコンセプトで行うかを皆で話し合ってまとめていき、それを各学年・各クラスへ落とし込んでいきます。生徒たちと教師が一緒になってやる場面も多くあります。色んな人の力を借りながら、大きな行事をふたつ生徒たちが主体となって作っているという誇りが感じられます。次の文化祭も個に焦点を当てた「百花繚乱」というテーマで着々と準備を進めているようです。

個性を認め合って
一人ひとりが生き生きと輝く

学校生活は言うまでもなく集団生活なのですが、本校の生徒たちは、まずは個がいるという部分から捉えていて。それも個の考えに触れる機会が多いからかなと思います。生徒たちのすごいところは、協働することが目的じゃなく、それ自体を楽しめ、その先にあるものを意識しているところです。他人の個性を認め合える前提が常に生徒たちの中にあるから、穏やかな協働が日常に溶け込んで色々なスタイルでお互いに高め合っています。

結果、開放的な雰囲気でそれぞれの意見や考えを伝えることができ、人の話を、先生に対しても友達に対してもちゃんと聞いて受け入れられる。そういうことが自然と行える学校になっていると思います。フレキシブルに色んなところで繋がったりしやすいので、行事や大きなことを成し遂げられ、生徒たちの自信にもなっています。「自分一人ではできなかったけど、協働したからできた!」その空気感はできています。生徒たちが、「よし、やってみよう!」と勇気を出して進んでいける環境を学校として作れているか、そこには今後も力を入れていきたいと考えています。他に負けない、学年を超えた学校全体での相互作用を生徒たちが実践してくれていると自負しています。